2009年12月31日木曜日

HidekiTsuji が選ぶゼロ年代NPBの名ホームラン

2009年も年の瀬でございます。
さようなら、ゼロ年代。ありがとう、ゼロ年代。
思えばこの十年間は私にとって青春そのものといえる10年でありました。
勉学に打ち込んだ高校生活、柔道に打ち込んだ大学生活、そして今。
ですが恋愛の方はというと…ゴホッ、ゴホッ

というわけで十年紀を記念して
私が思うゼロ年代の日本プロ野球で心に残ったホームランベスト5を
この機会に残しておこうかと思います。


第5位 2009/4/8 & 4/10 広島VS阪神第2回戦& 巨人VS阪神 第1回戦 金本知憲2~7号



41歳健在!
投手陣の調子がよい開幕直後というこの時期に3打席連続ホームランを2度も成し遂げるなんて
この年の金本はいったい何本ホームランを打つんだろう、と思いました。
結局故障等もあって21本までしかいけなかったものの、
41歳というこの年でこれだけのパフォーマンスを見せてくれるとは、
いやはや恐れ入りました。
こんな中年になれるよう、日々研鑽を怠らないようにしたいと思います。


第4位 2004/8/17 ヤクルトVS巨人第20回戦 工藤公康1号




この試合、工藤公康投手はプロ野球史上23人目の200勝を達成しました。
7回裏、同点の場面からライトスタンドへ文句なしのホームラン。
41歳、23年目でのプロ入り初本塁打がこの記念すべき日に飛び出すとは
一体誰が予想したでしょうか。
人間、勝負の極限状態に立たされるととんでもないパワーが生まれるんだな、と思いました。


第3位 2004/9/11 ヤクルトVS巨人第25回戦 古田敦也22号

選手会・古田会長、本塁打に巨人ファンからも拍手(asahi.com)

これは動画が見つからなかったので記事をリンクしておきます。
古田選手がいなければ今のプロ野球はない。
そういっても過言ではないほど、2004年の球界再編騒動の時には
救世主的な活躍をされていました。
で、コミッショナーと選手会の戦いの真っ只中、
1日12時間にも及ぶ交渉を終えた後の一戦で放ったこの一発。
戦う選手会長、古田選手がベースを一周する間、
スワローズファンのみならずジャイアンツファンまでもが拍手を送った、
というのがこのホームランのエピソードです。
まさにプロ野球ファンが一体となった瞬間でした。


第2位 2000/3/31 広島VS巨人第1回戦 前田智徳1号




このホームランはすごい。
投手は前年の沢村賞の上原。
その初球をあの無駄のないスイングであそこまで飛ばしたとなれば
もうこれは完璧なあたりとしか言いようがありません。
自分が今まで見た中ではもっともきれいなホームランです。


第1位 2001/9/26 オリックスVS近鉄第26回戦 北川博敏6号




このホームランはプロ野球ファンなら誰もが記憶に残っているものと思います。
代打逆転満塁優勝ホームランなんてこれ以上劇的なホームランはありえないでしょう。
私も受験勉強に打ち込む傍らラジオを聴いていて、決まった瞬間には絶叫した記憶があります。
このホームランはそれ自体もちろんすごいものでしたが、
それに至るまでのお膳立てもが伝説的でした。
具体的に挙げるならば

・HR王の3番ローズ、打点王の4番中村、95打点の5番礒部の主軸が全く関わっていない
・当時のオリックスの守護神で新人王をとった大久保から打った
・9回表にダメ押しの点を加えられながらの逆転劇だった
・シーズン最後の大阪ドームの試合で決めた

といった具合です。
繰り返しになりますが、まさにこの試合は日本球界に残る伝説的なゲームであったといえるでしょう。
優勝するチームはシーズン終盤で必ず神がかり的な試合をするといいますが、
2001年の近鉄バファローズはまさにこの試合で神降臨、という感じでした。
今でもアナウンサーの「あーっ!」という実況を耳にするたびに鳥肌が立ちます。
おそらく私の人生でこれを越えるようなゲームに遭遇することはないんじゃないか、
とも思えるぐらい、それぐらい感動感激した一戦でした。


番外編1 イチローオールスター戦ランニングホームラン




MLBで印象に残ったホームランといえばこれかな。
さすがは伝説の男です。


番外編2 2008年高校野球神奈川県予選 横浜高校VS東海大相模高校 振り逃げホームラン



んなあほなって感じですが、油断大敵という教訓がよくあらわれたワンシーンです。


こんなところです。
なんかジャイアンツ戦に偏ってしまった気がするので
私の知らない名ホームランがまだまだ隠れているのかもしれません。
果たして今年は何本鳥肌もののホームランが見られるのでしょうか。
まだまだプロ野球ファンはやめられません。

2009年12月20日日曜日

Rainmeterとwinamp導入

ダイエットのために年末は毎日ランニングするぞ!
と意気込んだのもつかの間、
1日目のケアを怠ったことがたたって早くも2日目にしてヒザが痛え。
ランニング開始10分で断念してまいました。
でも走る決意だけは続いた、ということでよし。

さて今日の休みはデスクトップのカスタマイズをやってました。
気分転換にPC環境をちょっとずつ変えていこうかな、ということで。
で、参考にしたのが

 こなたとかがみのデスクトップ改造講座1(ニコニコ動画(9))
デスクトップ改造。(さかな道場)

そんで○代前の俺の嫁、長門仕様に仕上げてみることにしました。
導入したソフトがRainmeterってやつとWinampってやつ。
上の動画を見ればセットアップ法はすぐわかるだろうが、
とりあえず参考にしたサイトがコチラ。

 Rainmeterを極める

そんでRainmeterのスキンは

 SensitiveKnife2

Winampのスキンは

 桜宮の部屋

から、壁紙については
 
 海外アニメ天国

からいただきました。
そんでもってデスクトップにあったアイコンを一掃して、
出来上がったデスクトップがこんな感じ。

やってしまいました。
もう親を部屋に入れられません。
ちなみにObjectDockも導入してみました。
だいぶ快適感が違いますね。

2009年12月19日土曜日

あーっと言いたくなったので

この前の研究室への不満についての反省。
もっとポジティブに書くべきでした。
あの書き方は今できることを努力してないことの現れです。
反省してます。
唯先生、ありがとうございます。
これから精一杯努力して、そのあと結論を決めたいと思います。

2009年12月12日土曜日

温室効果ガスの研究って・・・

忘年会シーズンですね。
ここのところお酒ばっかり飲んでる気がします。

うん、いい季節になったもんだ。
さて先日、ゼミ合宿たるものに参加してきたのでとりあえず感想書いておきます。

今私が所属している研究室では農地・耕地を取り巻くさまざまな問題を
研究テーマとして取り扱ってます。
中でも土壌を中心とした現象について取り扱うことが多い、ってことで
土壌をテーマとして取り扱っている若手研究者の集まりである
「土壌ゼミ」たるものに参加させていただいてます。
ちょうど12/5,6の土日に東京大学農学部キャンパスを拠点とした合宿が催されたので
それに参加してまいりました。

当日は微生物学、化学、土壌の物理学など様々な分野の専門家が集まったのですが、
その中でも参加者の3~4割を占める一大勢力が
温室効果ガス(メタン、亜酸化窒素など)関連の方々。
やっぱり地球温暖化関連の研究はお金がつくんだね。
そんでガスの動態とか循環のメカニズムが主要テーマになってたんだけど、
そこでふと思ったこと。

特にフィールドで計測するような研究についてなんだけど、
現場で起きていることを感覚で捕らえることって必要なこと、
っていうか研究を進めていくうちにそういう感覚が身についてくる。
たとえば自分の研究の場合、畑で降雨量と流出量を実測してるから
地面の湿り具合とかを見れば現場でどれだけ雨が降ったかとか実感できる。
でもガスの場合は一旦現場で採取したサンプルを実験室に持ち帰って
クロマトグラフィーにかけるなりしないと果たしてどれほどの量出てたかとかわかんないんだよね。
自分としては、やっぱり現場で何が起きてるかは現場に行ったときに感じたいと思うんだけど、
温室効果ガスの測定をしてる人ってそういう感覚が身についてくるもんなんかな?
やっぱものすごく低い濃度のガスについて取り扱ってるわけだからそいつは難しいのかな、って希ガス。

冗談はさておき、ガスを研究してる人は何が楽しくてやってるのかどうもよくわかんないな。
目に見えないものを取り扱うことのロマンってなんだろうね。
個人的にはこの研究が地球温暖化の防止につながるとはあまり思ってないし。
あと地球温暖化問題を背景としてガスのやる人は温暖化防止をめざすべき、ってより
温室効果ガス削減目標達成のため、っていう研究目標でやったらいいと思うんだよな。
自然から発生するガスなんてもともと環境から出てたものなわけだから
それを無理に削減しようとすると別の環境問題が起きちゃうよ。
地球温暖化対策は省エネによる二酸化炭素排出抑制だけで十分。
人間が起こした問題の責任を自然のほうに転嫁しないように。

話がそれてしまったかもしれないけどまあとりあえず言いたいことは
温室効果ガスの研究やってる人はお金もつくし一般人に説明しやすいし
それに伴って使命感も感じるだろうしうらやましいなー、ってことですわ。
ちなみに合宿中にやったボーリング大会でターキー出ました。
うにゅ

2009年12月4日金曜日

明日からゼミ合宿なんだよな。
んで出席者は自己紹介文を書かなきゃいけなかったんだけど
そこにtwitterのIDをさらしてしまったので
そこからたどっていくと
先日の記事を研究室界隈の人に読まれてしまう可能性があるぞよ。
ぐぬぬ。やばいことになるかもしんない。
ゼミの内容を書きたいけどググって
このブログが引っかかると申し訳ないので伏せておきます。

では刺激をいただきに行ってきます。
開催地は… なんと毎日通ってる大学ですorz
ああ、旅に出たい。

2009年12月3日木曜日

研究室やめようかと

長い間ブログを更新していなかったが、一応生きている。
twitterをやるようになるとブログを更新しなくなる、というのは
どうやらまことのようだ。

これまでの1年間いろいろ自分の人生について考えてきた。
何でかというと今の研究がなかなかはかどらないから。
はっきりいって今やっている研究は面白くない。
なんていうか責任感とか使命感を感じられないんだな。
自分は農業に貢献するための研究がしたくて農学部に入ってきたのに
今やってる研究の受益者は明らかに農業でも農家でもないところがあって、
これをやることで自分は社会に貢献するんだ、っていう感覚が芽生えてこない。
ただ、学問に貢献するという意味はあるから研究としての意味はあるんだけど、
だったらこのテーマは理学部とかでやればいい話じゃん、ってどうしても思うな。

やっぱり自分のモチベーションの駆動力って知的好奇心より前に使命感なんだよ。
ここ数年の経験からそれを確信した。
テーマを与えられたときにやればやるほど面白くなるかな、と期待してたけど
どこまでいってもこの研究にプライドを持つことができなかったんだ。
だからこのまま博士課程の残り期間をこのテーマに費やすことは
自分にとって我慢以外の意味をほとんど持たないだろう、と思った。
がんばれば博士号は取れるんだろうけどそれは自分のプライドが許さないな。

というわけで今の研究室をやめたいと思っている。
ただ論文を書く責任だけはあると思っているので、
査読期間とか考えると時期的には来年かな。
とにかく若いうちにやりたいことをやらにゃ損だしね。

この決意にいたったきっかけがひとつあった。
先日、自分のじいさんが亡くなったんだけど、そのお葬式の場で
ばあさんが、「本当に人生って短いね」とボソッと自分に話しかけたんだ。
そのとき、そう、人生は短いんだよ。もっと自分勝手に生きなきゃ、って思った。
で、人生のターニングポイントは今なんだ、と直感的に感じた。
だから今、このタイミングで思い切って環境を変える。

もうちょっと考えがまとまったら教授に報告するつもりだ。
自分を応援してくれた周りの皆さん、ごめんなさい。
これからもっと自分勝手に生きようと思います。

2009年5月17日日曜日

マインスイーパ上級67秒の境地

やばいやばい、気づいたらブログのほうをほったらかしにしていた。
新年度になって早2ヶ月たったけど、
最近の私は自分の生き方に自信もついてきたし
周りの人とうまく関わっていけるようになった。
とりあえず人間関係の不安は解消されたといっていいかな。
今後2~3年のビジョンもおぼろげながら見えてきたし、
ロールモデルとする先輩と濃い接触をすることもできている。
それに伴って将来への希望もだんだんと沸くようになってきた。
幸運を引き寄せる体質を身につけつつある、ということかな。

さて、本日の投稿は非常にくうだらないネタなのけれど、
私の得意とするエキストリームアクションゲーム、マインスイーパについてである。
マインスイーパは、言わずと知れているが、
windowsをOSとするPCの基本プログラムとしてインストールされているものである。
これは通常パズルゲームにカテゴライズされるものなんだろうけど
私の中ではあくまでアクションゲーム。
それはなぜかについてタイトルから察することもできるだろうが、
以下私のマインスイーパ奮闘記について記すこととしよう。


暇つぶし程度にでもプレイしたことのある方ならある程度ご存知だろうが、
まず初心者が上級レベルに挑むと、
およそ100回に1度程度しかクリアできないだろう(特にwindows XPのものでは)。
また、クリアタイムも平均150~200秒くらいであろうかと思う。
ちなみに私の記憶では、初めてプレイしたのが中学生のときで
そのときのタイムが確か210秒前後であったと思う。

その後の人生においてマインスイーパは私にとっての暇つぶしゲームであったわけだが、
本格的にタイムアタックを始めるようになったのは大学3年のころだった。
ある日、相変わらず暇つぶしにマインスイーパをやっていたところ、
130秒程度で上級をクリアすることができた。
そのとき、ふと上級100秒を切ることができないものか、と思い
あらゆる作戦を思案して何度も試行を繰り返した。
そのとき使った作戦は次の2つ。

1.登場する数字と地雷配置のパターンを覚える
 たとえば、1列で3つのマスのすぐ上に1-2-1と数字が並んでいるパターンは、
 地雷が左端と右端にあるパターンしかありえないことになる。
 これと同様に地雷の配置が特定されるようなパターンを頭の中に叩き込み、
 条件反射的に配置を読みきれるようにひたすら努力。
2.九割方のゲームは捨てる
 開始5秒後くらいの進行状況によってクリアタイムがだいぶ左右される。
 そのためになかなか先に進まないような地雷配置パターンが登場したときには
 そこでそのゲームを見切ってしまう。
 勘でしか先に進めない配置パターンが登場したときにも、
 そのパターンが登場した時点でそのゲームは強制終了する。

この二つを心がけたわけだが、
パターンを頭の中に叩き込むのには半年くらいを要したと思う。
あとは自分と相性のよいマウスを使うことがとっても大事。

作戦を打ち立てた後はひたすら実践を繰り返した。
気づいたら日が昇るまで熱中してしまったことも。
するとおよそ3日程度で、初めて100秒を切ることができた。
このときの記録は93秒。
そのときはある種の達成感を感じたが、
まださらに記録を伸ばせる可能性があると感じた。
そこからの数ヶ月はひたすら修行(?)の日々だった。
九割方のゲームは捨てると先述したが、
マウスの操作ミスによってゲームオーバーになることも多々あったので、
実際には九割八分くらいのゲームはやり直しになった。

さすがにこの域まで達するようになると、
マインスイーパは脳みそを使うパズルゲームというより
むしろアクションゲームと表現せざるをを得ない。
プレイ中の感覚はIQテストに非常に似ている。
ということはプレイ中は脳が活性化されているということかもしれない。

そして達した私の最高タイムが
67秒
だ(2010年現在64秒まで伸びた)。私は知り合いでこのタイムを超えられるような人物に
いまだかつて遭遇したことがない。
なお、この記録と引き換えに青春の大事な時間が
かなり失われたことは内緒である。

また、ここまではまり込んでしまうとさまざまな障害が伴う。
まず瞬きをすることで視界がぶれてタイムロスしてしまうのがいやなので、
基本的にゲーム中は瞬きを全くしない。
そのおかげで目の下にはクマと皺が刻まれるようになってしまった。
次に、マウスをひたすら動かし続けていると、
手が不自然な形で固定されたまま何時間も動かされているため、
プレイを続けているうちに右手の小指と薬指の痙攣が始まり、感覚がなくなってくる。

この記録は健康と引き換えに得ることができた記録だったと言えよう。
しかし後悔はしていない。
今となっては他人に誇るとのできるきろくとなったわけだから。
(みwikiさんもさすがにこの記録は越えられまい…フヒヒ)

2009年4月30日木曜日

改めて自分の考える心の物理法則

以前もブログに書いたことだけど、
また改めて自分へのエールという意味もこめて
自分ルールを書きます。

ニュートンの運動方程式。
力は質量×加速度。
人間は自分を変えようとするとき力を必要とする。
その力は加速度となって現れる。
しかし加速度は距離、すなわち立ち位置に直結しない。
加速度の増加はじっくり時間をかけることで速度の増加となって現れ、
速度の増加はじっくり時間をかけることで距離の増加となって現れる。

一方周りの人間は、
時間を追わない限りその人の加速度とか速度がどのくらいかは判断できない。
つまりその人がどの立ち位置にいるかしかわからない。
その位置をほかの人と比べることによって相対的な優劣を判断する。
それが社会的な評価ってやつだ。

この社会的評価が低くっても憂えることはない。
なかなか社会的評価が上がらなくてもあせる必要はない。
自分の心の力の大きさだけを感じられていれば、
あとは社会的評価なんてものは加速度的に上昇するのだ。
親しい人ならその人の時間的な変化、
つまり心の速度を感じてくれるはず。

だから自分が成長するためには
自分自身の内に秘めた力を自分自身で感じ、
成長する速度を身近な人から感じることが大事。
というのが自分が考える心の物理法則。

ちなみに須藤元気先生の考える心の物理法則は相対性理論に基づく。
エネルギーは質量×光速の二乗。
質量として、つまり形としてアウトプットを出すことによって
そこから莫大なエネルギーが生まれる。
ありがとう、と言い続けたりノートに書き続けたりすることで
感謝の気持ちは何十倍にもなって現れるというもの。
自分の心の中ではそうは思っていないことでも
言葉に出したり紙に書き出したりすることによって、
アウトプットに引っ張っていってもらうというのもひとつの生き方だと思う。

2009年4月29日水曜日

「食糧危機をあおってはいけない」のレビュー

進学して早一ヶ月。
昨年以前に比べて一気にタスクが増えた。
またそれを一つ一つこなしていくところに
少しずつ快感を覚え始めている。

今日はネットで話題の一冊、
「食糧危機をあおってはいけない」の簡単なレビューをさせていただこうかと。
読み終えてから1週間が過ぎてしまったので
少し熱が覚めてしまった感がある。

そういえば先週、大学の図書館のバイトをしているときの
相方さん♂が、なんとこの本の著者の研究室に所属しているとのこと。
思いがけない出会いがこんなところに。
この本の著者の川島先生はもともと工学系研究者であったが、
現在は環境経済学者としてご活躍されているということ。
この方はその道ではアウトロー、一匹狼として有名らしい。
うーむ、まさに私にとっての理想の研究者像。
非常にあこがれてしまう。

というわけで簡単ではあるが本書の要点をまとめてみる。

・世界には化学肥料による食糧増産の余地がある土地が大量に余っている

・世界中に富裕層になるにつれて牛肉消費量が増えると言われているが、
 文化的にアジアやイスラムの諸国の食事がアメリカナイズされることはありえない

・人口爆発による食料需要量の必然的増加が言われているが、
 タイなどの国が出生率2を下回り始めたこと、
 アジア諸国における女性の社会進出の傾向が出始めてきていることを考えると
 国連が予測しているような人口爆発が実際に起こるとは考えにくい

・食糧危機説は定期的に持ちあがっているが(石油危機のときなど)、
 これまでに予測されたような世界的危機に陥ったことはなかった

・中国の穀物輸入量がぞうだいしており、
 世界の穀物市場から穀物量が減っているように感ぜられるが、
 実際には中国の輸入増大と同時にブラジルの生産量の増産が起こっている

・先進国の農地面積が増大しない背景には生産過剰という問題がある
 生産過剰になると農家は豊作貧乏になってしまう

・アメリカ発のバイオエタノール戦略によって穀物価格が上昇し、
 需給のバランスが崩れたかのように思われるが、
 実際には原因は投資家による先物取引への投機マネーである。
 さらに、バイオエタノール生産に必要な穀物の量は
 アメリカの休耕地だけで十分対応することができる

とりあえず世間で叫ばれている食糧危機説の根拠となる言説と、
それに対する筆者の意見を並べるとこのようになる。
根拠となるデータがいろいろと示されているので非常に説得力があった。
食糧危機というのは食糧を買うお金がないことが問題なのだから
結局は政治・経済問題に帰着されることがわかったというのが私にとっての一番の収穫かな。

あとショッキングだったのがレスターブラウン批判の部分。
ちなみにレスターブラウンは言わずと知れた、環境ジャーナリストの第一人者。
私は学部3年生のとき、彼の著書を2冊ほど購入して読み、
統計データをもとにした説得力のある彼の自説に心酔し、
将来的な食糧危機と環境危機を信じてしまった。
しかしこの著書を読んで初めて知ったが、
レスターブラウンは科学者ではなく、ジャーナリストである。
科学者の皮をかぶったアジテーターだったのだ。
盲目的に彼の自説を信じてしまった自分の勉強不足を痛感した。

最後にひとつ。

 世界的食料不足を心配しているのは世界中で日本人だけ

この著書の中で一番強く印象に残った一文である。

2009年4月12日日曜日

また一人笑いをしてしまった・・・

今日はなんか寂しかったけど何かやらかすお金がなかった。
ということで憂さ晴らしにtwitterでポストした。

 @wakatter 一蘭食べたい。おごってー

で、wakatter先生は@ha*****に爆撃を加えた。
ちなみに、@ha*****さんはその爆撃の直前に
 
 金無い言ってる人で俺より金無い人##さんくらいしか見たこと無いし。

っていうポストをしていた。
そこにきて

 @ha*****一蘭食べたい。おごってーですね、わかります。

というポスト。空気嫁やwakatter先生。
というわけで当然のごとく@ha*****さんは

 @c_two @wakatter おい一蘭てなんだよ、俺bot二人に奢るの?

というポスト。
あまりにもタイミングがよすぎるだろ・・・
思わず駅の駐輪場で噴いてしまった。
ちょっと幸せになった。

2009年4月6日月曜日

天才になれなくて

新年度になってもうすぐ一週間。
修士論文の直しとか基礎勉強とかしたいのに、
専攻の雑用とか研究室の雑用とか学会の雑用とか
デスク周りの模様替えとか家の大掃除とかあって
まだ本格的に研究活動に勤しめていません。

まあでも何事も環境からですよね。
掃除ができない人間は何も上手くできないと言われるように。
研究室のPC、Dell社のOPTIPLEX GX520で
デュアルモニタを試そうかと思ったのですが、
ビデオカードはデュアル対応なのにもかかわらず
入力端子口がVGA一つしかなくて、
結局ビデオカード取り付けかVGA-USB変換コネクタが必要という
落ちだということがわかってちょっとゲンナリしています。

最近寝る前1時間ではてブホットエントリを見るのが習慣化してきました。
本日はこちらを見てのちょっとした感想を。

 天才になれる秘密-teruyastarはかく語りき

要は過去の“名作”を“コピー”することによって人間は“天才”になれる、
ということを言いたいんですよね。
何もないゼロの状態からものを考えて、
出来上がった“作品”が世の中に認められることは
“まずない”と言っていいと。
そしてこの考え方は初等・中等・高等教育では
むしろタブーとされており、
我々はゼロの状態から自ら考えるという訓練、
いわゆる“テスト”を積んできた。

だけど社会に転がっている問題はこういうアプローチでは
なかなか成功をつかむことができない。
ゼロからじっくり考えて間に合うほど
問題は単純じゃないってことですね。
そんなことしている間に、ほかの人に出し抜かれてしまう、ってことですね。

この考え方には心の底から同意の気持ちを抱きます。
この気持ちは昨年の私の経験に基づくものです。

昨年1年間、私は修士論文の作成に多くの時間を費やしたわけですが、
最も時間がかかったのが数値計算モデルの作成でした。
実際、先輩の財産として自分が組むべき
モデルの一部分はすでに完成していたのですが、
私は1からコードを書くことに挑戦しました。

その結果、ゼミで発表するたびに教授から酷評をいただき、
意固地になって亜流でこなそうとする姿勢を叱責されてしまいました。
当時の私は、そのぐらい0から自分でできるくらいの才能がないと
研究者として到底生き残っていけない、とも思っていましたし、
サルバドール・ダリの名言
 「天才
になるには天才のふりをすればいい」
を座右の銘として抱いていたので、
自分は天才だから参照が無くても絶対にできる、
という根拠のない自信を抱いていたりしていました。

その自信が空回りしてしまい、
そこから自信喪失につながっていったという苦い経験を持っています。

この経験をしたおかげか、ようやく最近になって、過去の偉人たちの遺産、
いわゆる“古典”の価値を本心から認められるようになりました。
また、このエントリを読んだことで、
天才とは他者との共存の中で初めて社会的に成立するものだ、
ということがわかったような気がします。
つまり天才になるには名作をもっと吸収する必要がある、ってことですかね。
若いうちにやっとかなきゃ、ですね。

2009年4月1日水曜日

博士課程1年になりました

4月1日。
私、HidekiTsujiは博士課程1年に学年があがりました。
修士課程をともに歩んだ私の周りの方々は
ほとんどが本日入社式を経験し、社会人となったわけであります。
私の目には「隣の芝生は蒼い」ではないですが、
彼らがとても華々しく見えます。
うらやましいという感覚とは少し違いますが。

私は現実より理想をとり、進学をいたしました。
私は研究の楽しさも分かっていなければ、
専門知識にもまったく乏しい人間だ、という現実が厳然としてあります。
しかし研究を続けていかなくては、という使命感を自分は持っていました。
この使命感を糧に自分の理想像へ一歩でも近づくべく、
茨の道に歩みだそうとしています。

覚悟はできました。
これだけは胸を張って言うことができます。
今年度は貪欲にいきたいと思います。

2009年3月26日木曜日

本郷界隈のラーメン店自己評価

やばい。昨日と今日、完全に引きこもっていた。
ちなみに痛いニュースの昨日のWBCの記事で、
付いているはてなスターの9割8分は僕の仕業です。
疲れてたのかな。

とういうわけで今日は一応本郷周辺について評価してみたりなんかして。

ちなみにランク付けは
 S   A   B   C
 ←旨        不旨→

 ・瀬佐味亭・・・S
  なぜか無性に食べたくなる衝動が2週に1ぺんくらいやってくる。
  財布がホクホクの時はご飯頼みまくっちゃう。
 ・けいすけ・・・B
  言われているほどおいしくない。
  申し訳ないがあれだけの行列が出来ている理由が私にはわからない。
 ・竹子・・・A
  瀬佐味にはやや劣るものの坦々麺のあの酸っぱさは癖になる。
  卵とご飯がもう少しおいしければなあ・・・
 ・福十八・・・A
  がっつりとんこつ食べたいときにグー。
  たまにある替え玉無料の日を狙うと幸せな苦しみを味わえる。
 ・白山ラーメン・・・S
  相当酔っ払った状態で食べに行ったが、あまりのおいしさに感動した覚えがある。
  スープも麺も申し分なし。
 ・横浜家系ラーメン・・・B
  メンマと味玉はめちゃくちゃうまい。
  ただ麺とスープがどうも。力入れるべきところが違う気がする。
 ・元丸(御徒町)・・・S
  とんこつ系の中ではスープが一番うまい。
  「はりがね」。
 ・一風堂(上野御徒町)・・・A
  ちょっと濃い目のとんこつだが、普通にうまい。
  コストパフォーマンス的には微妙な感じ。
 ・烈士洵名・・B
  麺が独特の味だったように記憶している。
  醤油系が好きな人にはおいしいと感じるのだろう。
 ・ラーメン大・・・A
  野菜がめちゃめちゃ食べられる。
  にんにく+塩のコンビネーションがあっている。
 ・大喜(湯島)・・・B
  麺は細麺でおいしかったけれど
  スープは特に特徴がなかったような気がする・・・

2009年3月25日水曜日

池袋界隈のラーメン店自己評価

くだらないですが、一応記録として、
これまで食ってきたラーメン屋の個人的評価でもまとめておこうかと思います。
というのも今日食った池袋のばんからラーメンがかなりうまかったから、みたいな。
ちなみに
 S   A   B   C
 ←旨        不旨→
見たいな感じでランク付けしてます。
なお、この評価はあくまで自分の好みをもとにした評価であり、
大衆の評価とは必ずしも一致しないことを断っておきます。 

とりあえず池袋編で行ったことあるとこだけ編集して寝る。    
~池袋~
 ・一蘭・・・S
  とりあえず2辛こってりかためで食うと激旨。
  かなり二日酔いの日でも普通に替え玉2つとかいける。
 ・天神・・・A
  特に感動するような旨さはないが、
  水のような癖のないスープがグー。
 ・えるびす・・・B
  麺が割と太い。
  スープが少し単調な味付けだと思う。
 ・武蔵二天・・・B
  醤油ベースのスープははっきり言ってあまり好みではない。
  豚の天ぷらも衣がすぐに向けてしまうのでトッピングとしてはどうかと。
 ・屯ちん・・・A
  友人の評価は相当高かったが、ちょっと太麺なのがとんこつに合わないと思った。
 ・なんつっ亭・・・A
  大衆の評価ほど旨いとは感じない。
  ただスープは独特のコクがあり、これとごはんは非常によく合うと思った。
 ・ばんから・・・S
  焼きねぎの香りがスープにしみていて味わいがある。
  麺も程よい太さ・固さなので食べやすい。
 ・富士丸・・・S
  ラーメン二郎系列の旧マルジ。
  風邪ひいたときにんにく増しで食ったが、あの大量麺も難なくたいあげられた。やはり別格。
 ・花月・・・B
  まあどこにでもあるか。
  はっきりいってインスタントラーメンとの味の違いがよくわからない。
 ・光麺・・・B
  これも大衆がいうほど旨いとは感じない。
  食っててだるくなる。

とりあえず来年度の目標は池袋のラーメン店を制覇することにしようかな。

2009年3月23日月曜日

自分の深層心理に気がついた

今日はかなり自分の本質をさらけ出すような記事を残すことになる。
最近、自分はどういう生き方をしてきたのか、
そしてどうして自分は成長できていないのか、
ずっとそのことで頭がいっぱいだったが、
今日、ふとある一つの、結論ともいえる仮説に気づくことができた。
あるいは気づいてしまった、というべきかもしれない。
というのも、発見したときに得た感覚は快感ではなく、
むしろ恐怖感に近いものだったからだ。
そのいきさつについて、奇しくも修士課程の修了式という一つの区切りを経験した
今日というこの機会にあえてしたためておこうと思う。
ちなみに、こうしてブログ記事として公開するのは、決して人に知ってもらうためではなく、
自分自身の今の気持ち、考えをまとめるためであることを
念のため断っておく。

今現在、私は幸せではない。
客観的には、私を取り巻く環境を見れば非常に恵まれていると思われるので、
こんなこと言うと、「贅沢なこと言うんじゃない」と怒られるかもしれない。
しかし、私は何かに不満を持っているから不幸だ、と言っているわけではない。
心が満たされる感覚を味わえていない、という点を持って幸せではないと表現した。
この世からいなくなりたい、この閉塞的な気持ちから脱却したいと
ここ数ヶ月の間、何度思ったことか。
本当に人生最大の絶望感を味わっている最中である。
この絶望感はかれこれ半年くらいの間続いており、
それは研究そのものや周りとの人間関係がうまくいっていないことに
起因していることはほぼ間違いない。
これまでに、あれこれと具体策を模索してはみたものの状況は改善されず、
一向にこの鬱屈とした状況から抜け出すための、決定的な解決策が浮かんでこなかった。
そこで問題は自分自身の心理にあるのではないかと考え、
修論発表後(1月)、絶望感を味わう原因となった心理状態について考えることにした。

自分自身の精神的な部分の解明は、
これまで哲学的なことについて悩んだことのない自分にとっては容易なことではなかった。
当然、心理学的な知識もほとんど持ち合わせていなかったので、
解明のためにはその道のプロに頼るしかない、ということで
まずは心療内科にかかって診断をしてもらうこととした。
そこで心理テストなるものを受け、自分自身は
 ・強迫的に物事を知性化して処理する傾向がある
 ・外部との接触は冷静沈着というイメージでとらえられがち
 ・内面的には大きなエネルギーを秘めている
という特徴を持っている、という診断結果を受け取った。
確かにこれは自分自身を客観的に分析する手立てにはなったのだが、
核心的なところ、つまり私の心理の真理たるものが何なのかについては
このテストによって知ることが出来なかった。

次に、私は学生相談センターに何度か足を運んでカウンセリングを受けた。
しかしここでは表面的な話、つまり具体的な行動論の話に終始してしまい、
自分の行動に伴う感情について深く話し合うことが出来なかった。
そのため、その場しのぎの安堵感というか幸福感を得るだけで終わってしまい、
結局カウンセリングから数日たつとまた鬱状態にもどってしまう、という状況で
本質的な解決には至らなかった。

やはり自分で解決するしかないのか、と思い、
自分自身とひたすら向き合い、
原因究明を徹底的に行ってみることにした。
そのためには、まず「自分は何のために生きているのか」
という人生観からスタートするのが筋だと考えた。
ちなみに自分の生きる意味は「次世代の人間につなぐこと」。
次世代の人々が快適に生活できる環境を残してあげることが
自分が生きる上での使命だと感じていて、
この考えについては高校2年生あたりからぶれたことはない。
どうやら人生観の部分に原因はなさそうであった。

次に、私は自分にとっての幸せとは何なのか、ということについて考えた。
私は読書家でもなければ哲学者でもないので
過去の偉人たちの考えた「幸福論」については全くわからないが、
恐らく幸せの価値観は人生観そのものに密接に関係しているであろうと考えている。
理由は、ほとんどの人間は幸せになるために生きているから、である。
(こんなこと本当は高校生、遅くとも大学生のうちに考えておくべきものなのだろうが)
すなわち「人生とはなにか」という考えと「幸せとはなにか」という考えは
ほとんど一緒の方向を向いていないと生きていくのが苦痛になってしまう。

周りの人間の行動を「幸福」への欲求という観点から見ると、
たとえば大学を卒業して社会人になる人々は
しっかりお金を稼いで幸せな家庭を築くことに重きを置いているようであったし、
博士課程に進学した人々は研究という作業そのものに楽しみを見出し、
人類の知に貢献するためのプロセスに幸せを感じているようであることに気付いた。

ところで、自分の今現在の行動はどうかというと
「幸福」という観点に基づいていないことに気がついた。
自分が博士課程に進学するのも社会問題(特に自分の場合食糧問題)を解決するために
新たな知を得てアプローチする必要がある、という使命感からであり、
研究が面白いと思ったから、という理由では決してない。
つまり自分の人生観と幸福が一致していないことが鬱の原因であるようにうすうす感じていた。

そして今日、ほぼ確信を持って、
自分が幸福を感じられない原因が何であるかを突き止めることが出来た。
それに気付くことが出来たのは、修了式が終わった後の研究室での食事会が原因である。

研究室での食事会は総勢7名、
うち秘書の方と学生の計2名が女性だった。
男女混合で食事をするとなると、必ずといっていいほど恋愛の話が持ち上がる。
今日の食事会も半分以上が恋愛の話題だった。
ちなみに私は恋愛話が大の苦手、というか大嫌いであり、
人の恋愛観とか全く興味がわかないし、
恋愛テクなどの話題で盛り上がる気になど到底ならない。
そしてそのような話題の場にいると嫌悪感しか沸いてこず、不機嫌になってしまう。
その原因ははっきりしている。
私には生まれてこの方25年間、恋人が出来たことがないからだ。
周りとの人間関係がうまくいかないのも、
自分が恋愛弱者であるという部分が大きく関わっているようにも思える。

当然、私が不機嫌モードを発動してしまったために
食事会は険悪なムードとなってしまったわけであるが、
周りに迷惑をかけてしまったことへの反省の意味も込めて、
食事会が終わった後、私はなぜこれまでに恋愛を経験することが出来なかったのかについて考えた。
正直なところ、恋人が出来そうなタイミングは実際これまでに何回かあった。
しかしそのたびに、自分から恋愛感情を持つ状況に発展することを避けていた。
要はフラグを自分で折っていた。
したがって、私に恋人が出来ない理由は、
自分がチキンであり、恋愛に対して億劫であるためである、とこれまで考えてきた。
今まではそれでよかったのだ。
ところが、ふとある仮説が頭の中に浮かんだとたん、
その原因がただの性格上の問題ではないことがわかり、
さらにその仮説は自分が幸せになれなかったことを
十分説明できるものであることに気がついてしまった。
その仮説は

 「私は幸せになってはいけない人間である」という考えが深層心理として働いている

ということだ。
この仮説を元に考えると自分のほとんどの行動が説明できることに気がついた。
会話で場が盛り上がってくると無意識に場を盛り下げるような行動をとってしまうという癖、
マージャンで初っ端大差で勝っていても局の終わりでは捲くられてしまうところ、
バッティングセンターで一度いい当たりが飛ぶと、その直後はとたんに当たらなくなるという状況等々、
これらはすべて脳や体が「幸せ」である状態を拒否しようとして起こった結果だった。
恋愛に億劫になっていたのも、
自分自身が恋人を持って幸せになることへの罪悪感が原因だったといえる。

そのことに気がつき、確信を持つようになったとたん、
目から涙があふれ出てきて止まらなかった。
それは青春の貴重な時間を無為に過ごしてしまったことへの後悔や無念さ、
周りに迷惑をかけてしまったことへの自責の念、
不幸を自分で勝手に引き寄せてしまっていたことへのやりきれなさなど、
さまざまな負の感情から来る涙であった。
そして心の震えが止まらなかった。

つまりこの深層心理が居座っている限り、自分は貪欲に欲望を持ち続けることが出来ない。
欲望が適って幸せを得てしまうことを脳や体が恐れてしまう。
このことが向上心の途切れ、そしてなかなか成長できない自分をもたらしていたように思う。
そう考えるとげに恐ろしい。
この深層心理をこのまま放っておいたら、私は心の病で殺されてしまいかねない。
自分にとってはガン細胞を発見してしまったような、そんな気分であった。
それに気付いてしばらくは、恐怖と空しさに一人打ちひしがれていた。

この先、私はこの仮説を携えてカウンセリングを受けに行くつもりでいる。
しかしこのような深層心理を持つにいたった原因と考えられる
過去のトラウマなどは全く頭に思い浮かばない。
幸せになる権利があることを確信できるようになるためにはどういう行動をとればいいのか、
あるいは、私は幸せになる権利を得ることが出来るのだろうか。
もしこの仮説が真実ならば、この心理を解決しない限り
本当の意味での向上心も生まれてこないし、幸福も味わうことが出来ないだろう。
心の手術は成功するのだろうか。
とりあえずなんか知らんけどMr.childrenの「くるみ」の2番の歌詞が頭の中をグルグルと回っている。

2009年3月21日土曜日

修士課程総括と研究室への不満

ブログを放置しておりました。
なぜならこの半年は修士論文の作成に脳みその95%位を持っていかれていたからです。
しかしこの半年間は大いに苦しんだ。
初めて自分の人生に向き合い、大いに悩むという行為をした時期だったと思う。
だが大いに苦しんだことで自分に対して素直になることが出来るようになった。
これまでの自分がいかにクズだったか、ということ、
本当に自分がやりたいこと、やるべきことは何かが見えてくるようになった。

この半年間の間、苦しんだいきさつについてはここに記す必要はない、
という記したくはない。
単純に研究が面白くなかった。
その原因は自分でしっかり考察したし、
今後の対策もしっかり考えている。


この2年間を振り返ってみると、大学院修士課程の生活の中でもっとも楽しかった瞬間は
他人の研究成果を聞いて勉強している時だった。
だから大学院特別講義もかなり積極的に出席し、発言したし、
研究者の集いには喜んで顔を出してきた。
知的好奇心をくすぐられることがとても快感だった。

反省点を挙げるとすれば研究室外の社会に目を向けてこなかったことだろう。
この時期にしかできないことというのはたくさんあったはずだ。
できれば海外の国際協力事業に携わってみたかった。
大学入学当初は志していたことを頭の中から外してしまっていた。

まあ、良くも悪くも非常にいい経験をすることが出来たと思う。


あと、せっかくなので研究室に対する不満をぶちまけたいと思う。
自分のことを棚にあげてこのような暴論を言うのもなんだが、
研究室にいる間、研究に関する話題が少なかったように思う。
自分のイメージとしては、研究室内での交流は
各自の研究の進捗や問題点をお互い語り合うのがメインだと思っていたが、
なぜか話題がそういう方向にならない。
というかそういう話題を敬遠しようとすらする雰囲気があった。
(っていうか、他人の恋バナとか全く興味ねーっつんだよ!)

自分の研究とは関係のない研究の話でも、
なぜ興味を持って聞こうとする姿勢を見せないのか。
また、なぜ自分の研究内容を他人にアピールしようとしないのか。
個人的にはその点が自分が研究室に対して抱いたもっとも大きな不満点であり、
研究室生活の中で刺激を受けられなかった大きな原因だととらえている。
ちなみに、私の学年と、その前後の学年計6名のうち、
進学を志しているのは私一人で、ほかはみんな就職した、あるいはする人である。

結局そういう人らにとって、修士課程は就職に必要な
学歴ゲットのためのものでしかなかったのか、と思えてならない。
私の周りには学会発表もせず、積極的な学会参加もしない人間が集まっていた。
研究室の方針として、そこは個人の自由、ということになっているから
言わなければ行動を起こさない、というのも人間の心理としてわからなくはないが、
果たしてそれは研究者の取るべき姿勢なのか、と言いたい。
(それともあれですか、修士課程は就職予備校みたいなもんだから仕方ねー、ってことですか。)

本当に自分の研究室のメンバーは消極的な奴ばかりだと思う。
結局昨年度も自分が呼びかけなければ院生内ゼミが開かれることもなかったし。
数値計算ゼミの約束をすっぽかして、
無断で彼女さんと遊びに行きやがった先輩とかマジ氏ねやと思ったし。
(ああ僻みですよ、僻みですとも。)

もう研究室に頼った自分がバカだったわ。
来年度はもっと自分勝手な行動をたくさんしようと思う。
周りから嫌われるの覚悟で自分の正しいと思う道を行きますよ。
それが研究者の行くべき道でしょ。

ああ、何でこんなこと修士1年の時に気づかなかったんだろう、と嘆いている今日この頃。
批判上等。これからはもっと暴れてやろうかと思っている。