2008年9月25日木曜日

なんてことはないけど

今日買ったトランクスのメーカーのロゴ(左)と携帯につけているUSBメモリのロゴ(右)が
何か酷似しててびびった。



そんだけ。

2008年8月30日土曜日

学会終了

8/25から30にかけて秋田開催の農業農村工学会に行って参りました。
人生初、学会発表たるものをやったのですが、
聴衆者からの反応がいまいちだったのでちょっと拍子抜けといった感じでした。
質問の内容自体も「自分の研究をわかっているのか」と試してくるようなものだったので
内容を聴衆者にしっかり理解してもらえたという実感もありません。

で、前回も書きましたがこのまま東京大学の博士課程に行くのかどうかについて
少なくともこの学会中に結論を出そうとかんがえておりました。
結論として博士課程に行くことに決意いたしました。
っていうか行かざるを得ないような状況になりました、
というべきなのかもしれません。
以下、その経緯について述べておきます。

今悩んでいる点は次の通りです。
一応悩みのランクとしては上から順番という感じです。
・自分のやっている研究が本当に価値のあるものなのかということ
・同期の修士課程の人たちに比べて知識欲が無いように感じていること
・実際にプロの研究者になったときにやりくりしていくことができるかということ

それぞれについて、学会期間中にどのような考えを持つに至ったかについて述べます。


自分のやっている研究が本当に価値のあるものなのかということ


これについてはすっきり解決しました。

今現在の研究テーマというのは畑の洪水緩和機能というものです。
学会参加前の時点では洪水というテーマが自分にとってあまりなじみが無く、
このテーマ自体、研究室の先輩からの引継ぎという形でもらったテーマであるため、
研究としての価値のあるテーマなのかについてずっと疑問に思っていました。
しかし、ちょうど学会期間中に集中豪雨を経験することがあり、
ニュースでもゲリラ豪雨による洪水被害が特集として報道されるなど、
「洪水」というテーマは今非常に注目を浴びているものだということが実感できました。
そして今後も「洪水」は日本だけでなく世界の環境問題として
ますますクローズアップされることは間違いない。
そこで農地の多面的機能の一つである洪水緩和機能を発揮させることによって
うまく洪水を回避する方法を考えることが重要になってくる。
そのためにはまず農地の洪水緩和機能を定量的に把握することが重要であり、
自分はその役割を担っているんだ、ということを実感しました。

さらに、畑の洪水緩和機能を研究している人間は
学会内でも自分ひとりしかいませんでした。
ということは研究としての需要は十二分にあるし、
オリジナリティも十分にある。
さらには台地上、平坦状などいろいろな畑の洪水緩和機能のデータを収集する、
というこの先の研究の流れも見えてきた。

あと洪水問題の権威である農工研の増本先生、神戸大学の田中丸先生が
洪水問題の今後のビジョンをしっかりと提示してくださっていたので、
研究の行くべき方向性が見えてきたような気もしています。

ただ、今後は食糧問題に直接関わるようなこともやりたいと思っているので、
新たな研究テーマも模索していきたいとは思っています。


同期の修士課程の人たちに比べて知識欲が無いように感じていること


確かに私は知識そのものや知識欲自体が回りに比べて少ないと感じてしまうことが多々あり、
そのコンプレックスは学会中には拭い去ることはできませんでした。
しかし、くだらないことでもどんどん質問していこう、
というド素人的なスタンスでのぞんでいけたので知識吸収の意欲は積極的に示せていけたかと思います。

また、去年に比べて自分が成長したと思ったことは
口頭発表に対する先生たちの質問のレベルってそんなに高いものではないな、と思えたところです。
ということは自分のやっている学問そのものが見え始めてきているのかな、と。
つまり、確かに修士1年の頃は勉強不足だったのかもしれませんが、
確実に去年に比べて自分が成長できていると感じられている分、
そんなに自分自身の研究者としての能力について憂う必要もないのかな、と思いました。

こういう明るい気持ちになることができたのも、
斉藤孝著『座右のニーチェ』を読んだからだと思います。
まあニーチェについてはまた改めてまとめる予定です。


実際にプロの研究者になったときにやりくりしていくことができるかということ

これについてはまだはっきりとした答えはわかりません。
研究者を職業としてやっていけるかどうか、というのは
金銭的な問題と研究へのやりがいとのバランス、という問題なのでしょうが、
今回研究のプロの人々の発表を聞いている限りでは、
みんなそれぞれプロ意識を持って楽しく研究しているな、と感じることができたし、
研究に没頭しすぎて不健康そうな人も全く見かけなかった。

みんななんとかなっているような気がします。


ところで、今回は学会の直後に、
学生主体で学問を考えるセミナーというものに参加してきました。
参加者が所属している農業農村工学会というのは
農村計画、水理、土壌物理、土質力学、材料施工、生態環境、環境保全
と、テーマが多岐にわたっており、もちろん参加メンバーの専門も人それぞれでした。
そんなさまざまな人種が一堂に会して取り組んだテーマは
「秋田県八郎潟の未来を考える」という農村計画学的なものでした。

そこでみんなそれぞれの知識を生かして八郎潟が抱えている問題への対処策を披露しあったのですが、
今自分がこのセミナーに参加している意味は何なのか、
そして、なぜ水文学を専門としている自分が農村計画学を考えなければならないのか
について全く結論を出すことができていないことに気づきました。
自分の行っている研究はサイエンスだから農業農村の抱える問題は関係ない、
と思い込んでいたのですが、
セミナーに帯同していた、とある助教の先生によるとそれは全く違う、と。
そこで初めて、自分は自分の所属している学問分野について何もわかっていないんだな、
ということを思い知らされました。

というわけで
博士進学試験までに
・自分が所属している学会は学問としてどのような位置づけなのか
・自分の研究テーマは学会の中でどのような位置づけなのか
について結論を出さなければいけないな、と強く感じました。
でもって来年のセミナーを企画することになりましたので
否が応でもこのことにけりをつけなければなりません。


最後に一つ。
最近ダイエットをして体重を4kgほど落としていたのですが
学会での5日連続の飲み会で体重が元に戻ってしまいました。
っちゅうわけで明日からダイエット開始・・・orz

2008年8月24日日曜日

私塾のすすめを読んで

最近読書のほうが滞っておりました。
だって一日10時間近くバイトしてたんですもの。

ようやく積読本だった『私塾のすすめ』(梅田望夫、斉藤孝著)を読み終えました。
いや~非常に読みやすかったし内容も興味深かった。
駅の階段だったりバイト先の自動ドアの入り口のすぐ手前だったりと
とにかく場所と時間をわきまえず思わず読み耽ってしまった。
生き方のヒントを与えてもらいました。
印象に残ったことを記憶しておきます。


「人生を限定した期間で考える」

生涯磨り減ることの無い資本を身につけるための期間を設定すること。
そしてこの限定した期間中は積極的な意味であきらめる。
人からの評価や金銭的な評価はあきらめて自分で意味づけする、自分で背負う。

会社だと三年続けられるかどうか、という境界線が話題となっているが
一研究者である大学院生にも同じことが言えるのかもしれない。
とにかく我慢してでも、自分に本当に合っていないと感じない限り三年間続けてみる。
奇しくも博士課程は3年間。
果たして逃げることなく3年を全うすることができるほど今やっている研究が好きなんだろうか。


「とにかく量をこなして経験値をあげること」

打たれ弱い、ノーといわれるのが怖いという状態。
これが今の自分にものすごく当てはまっている。
行動することそのものがいつの頃からか億劫になってしまった。
行動しなければ経験値が上がるはず無いというのもうすうす感じてきてはいたけれど
それについて考えることから逃げていたな~。

やはり今の自分は未熟だから、もう少し成長してから行動しよう、
という完ぺき主義的ないけないんだと最近思う。
先送りするにしても次のステップに進むデッドラインを設けないと
ただ逃げているだけになってしまうし。
よく年配の人に若いうちに失敗をたくさん積んどけと言われたきたが
こういうことだったのか、と最近痛切に感じているところ。


「本当に対象のことが好きなのかどうか、とにかく相当勉強してみないとわからない」

この言葉はこの書の中でもっとも自分の心に響いた。
もっと早くにこの言葉を吸収できていれば…
はっきりいって自分が今取り組んでいるテーマが自分にとって
本当に好きなものなのかどうか、自分はわかっていないと思う。
それはギリギリまでそれを勉強したことが無いから。
私は修士一年の頃は勉強を怠っていた、
というか本当に今勉強するべきことはこれでいいのだろうか、
と不安を抱えていて足が竦んでしまっていた。

何だ、迷わず勉強していればよかったんじゃないか。
結局どの道研究を続けるって結論に達する運命だったんだろう。
迷っている暇があったら選択肢のどっちかを全力を注いでやってみて
それで決して後悔しないこと。
そういう生き様をそもそも自分は望んでいたはずだった。

若く生きよう。


明日は学会@秋田の準備の予定。
座右のニーチェを買って持っていこうと思います。

2008年8月23日土曜日

夏休み終了のお知らせ

明日で夏休みのバイトの全行程が終わる。
まさに時間を金に変えた感じだった。
おかげで資金作りができた。
多分PCが弱ってきているので自作PCにでも当てようかと思う。

最近ブログを更新してなかったけど一応記事を書こうとはしていた。
でもなんだかんだで文章作成中に睡魔に負けて挫折の繰り返し。
そのため下書き記事がすごく溜まっている。


さて、来週は学会なのだ。
一応スライドは作ったし教授からじきじきに手直ししてもらった。
何か今後の人生の運命をにぎる発表になる予感がする。

そして今年の夏休みが終了。
モラトリアム最後の夏とか終わってしまうけどさびしさなど全く無い。
っていうか修士課程までをモラトリアムだと位置づけるのも
そもそも何か間違っている気がする。

今、人生の大きなターニングポイント上にいることをなんとなく自覚している。
果たして自分の居場所はここでいいのか、それを決める大事な時期。
もしかしたら留年するかもしれないし、海外に行くことを決意するかもしれません。

2008年7月9日水曜日

やっば、一ヶ月以上もブログ放置してましたね。
最近は興味があっちいったりこっち行ったりで軸がぶれまくってます。

一つ始めたのが将棋。
高校の頃将棋同好会たるものに入っていたにもかかわらず弱っちい私。
なぜか最近になって羽生善治著『決断力』がきっかけとなってブームが再燃しています。
ちなみに来週のプロフェッショナル仕事の流儀では羽生善治と森内俊之の対決が
クローズアップされるようなのでぜひ見たいところです(バイトが時間通り終われば…)

あと暇なときは2ちゃんで情報収集するようになりました。
まあネット界の情報は玉石混交といわれてますが、
10個の玉を苦心して集めるより100個の玉石混合物をインプットしたほうが
はるかに効率がいいことに今更ながら気づきましたorz
そんで今自分が選考している農業土木スレを読んでるんですが…
何か暗い話ばっかりですね。
このまま博士に進学してよいものかどうか、
人生設計を考え直すべきなんじゃないかとかいろいろと思い悩んでいます。

悩みといえばつい先日、遠隔操作のための電波受信用端末を設定していたのですが、
電源のプラスとマイナスを間違えるという単純なミスを犯してしまい見事に発煙。
結局それは23万円とかしたんですが、修理が難しそうなので導入計画断念ということになってしまいそうです。
やっちまいました。げんなりです。

最近情報発信欲がちょっと沸いてこなくなりました。
twitterのおかげなんでしょうかね。

2008年6月1日日曜日

反省。

大学時代もっとやっておけばよかったと思うことがたくさんあります。

まず読書。特に小説を読んでいる量が圧倒的に足りない。
自分の中の哲学も確固たるものになっていない。
科学者になろうとしているのにさすがにこれはまずいよな。

漫画も読んでおけばよかった。
漫画のよさに最近ようやく気づいた。
漫画を読むことでイメージ力がつく。
ちなみに私の父親は、東大生は漫画など読まないという偏見を持っている。

社会を知らない。
もっとお金を使っていろいろなこと経験しておけばよかった。
農業体験とかインターンシップとか。
バイトも遊び感覚的にもうちょっとやっておくべきだったかな。

他者との交流をもっと図っておけばよかった。
同年代で社会人として働いている人が何を考えて就職し、
大学時代どうやって過ごしてきたのかが今更ながら気になる。
柔道部時代には交流の場がかなりあったはずなのに有効活用できなかった。

あと料理も一人暮らししてるうちにもっとできるようになりたかった。
決してモテたいというわけではないんだけど不器用なのはやっぱしいくない。

まあでも後悔しても悩んでもググっても仕方ない。
まあそんな時もあるさ明日は違うさ、
ということでこれから徐々に読書も交流も社会経験も積んでいく予定です。

研究発表が向こう1ヶ月に3回というハードスケジュールが組まれてしまいました。
当面は研究室に入り浸る生活が続きそうです(T T)

2008年5月22日木曜日

褒めることについてちょっとだけ考えてみた

riywo氏のUst聞いて個人的に思ったこと。ちなみに文章が論理的につながっていないのはご容赦ください。

まずはちょっと事情があって最初の15分くらい聞くことができませんでした。サーセン

今回のテーマはいかにして人を褒めるかと褒めることの重要性についてということでしたが、自分も最近褒めることがいかに大切かを思い知るような経験をしたので非常に興味深い内容でした。

褒める機会というのはリアルコミュニケーションの場面に多く、人を面と向かって褒めるのはriywo氏同様、私も苦手です。一年前に研究室の同期と3対3で合コンしたときには話も人を褒めるのもうまいやつがいて、そのときは完全にそいつのペースに飲み込まれてしまったという経験があるので、その劣等感は強く感じています。まあ、そいつが下心を持っていたのかどうかは別問題です。

~人の何を褒めたらいいのか?~
褒めることの重要性にはあえて言及する必要もないと思いますが、相手も自分も気持ちよくなることができ、仕事への意欲が向上し、さらには相手に対する観察力がつき、褒め言葉をうまく相手に伝えようと努力することによってボキャブラリーが必然的に増える、というメリットがあるようです。では、褒めるといっても具体的に何を褒めることが一番重要なんでしょうね。
確か誰かの言説で、「ある人が何者であるか、いわばその人間の存在価値はその個体が行った社会的活動をもって決定される」というのがあったように思うのですが、もし「褒める」という行為自体の意味が「相手の社会的存在意義を高める」という部分にあるのであれば、人の内面・性格や見た目・外見を褒めることよりも人が行った行為あるいは成果を褒めてあげることの方が大事だということになると思います。それは直接的に成果を褒めてあげたり、出された成果をもとにその人の能力を認めてあげたりすることが重要かつ効果的なのではないでしょうか。

~褒める力をつけるためには何から始めればいいのか?~
でもいきなり本人を前にして成果・能力を褒めるのは恥ずかしいし、そういう場だとかえって自分の言いたいことを100%伝えられられないもどかしさが気にかかってしまう。でもって、頭の中のどこかでは「うまく褒められなくて逆効果になってしまったらどうしよう」と思っている。しかしそうやって言い訳して褒める場を失っていては、茂木先生の言うところの「褒めのアスリート」にはいつまでたってもなることができないですよね。だからまず褒めることに慣れていないうちは本人が介在していない場でその人の成果や能力を褒めてみることから始めたらいいのかな、と思うんです。例えば書評をブログ上に書くということも褒めることに変わりはないわけで、それだと割と気軽にできる。身近な人に「あの人はすごい」という話をすることも十分効果がある用に思えます。

~つい人を貶してしまうのはなぜだろう?~
身近な人であれば褒めるのも簡単でしょうし、むしろ貶すことの方がよっぽど難しいと思われます。しかし相手が自分とはあまり関係のない人であれば貶しても自分にとって損害はないと思い、簡単にバッシングしてしまうことができてしまいます。特にマスコミなどは、誰かをバッシングすることによって損害を被ることはほとんど無いと考えているからあのように政治家や犯罪者をたたくことができるのでしょう。
また、自分の存在価値を顕示するのについ他人を貶してしまうことがよくあります。これは私の最近の経験談ですが、学振の提出書類で自分の研究の背景を書いていたとき、自分の研究のオリジナリティを際だたせるために、これまでに行われてきた研究の流れのどこかしらに欠点を見出す必要がありました。そこで私は前人の研究をほとんど真っ向から否定し、欠点を羅列した形で背景を書きあげました。その文章を教授に見てもらったところ、これまでの研究のよい点を列挙し、さらに自分の研究の良いところを付け足すような形に書き直すよう命令されてしまいました。
つまり自分を認めてほしいから、そして自分は傷つきたくないから適当な他人を叩くことによって存在価値を得ようとする。それが結局手っ取り早い手段と言うことなのでしょう。「他人を褒める→相手をいい気分にさせる→自分への見返りを待つ」というプロセスはあまりにも時間がかかるように思えて回りくどい。長期的な利益を考えたら間違いなく褒めた方が絶対得になるはず、ということはおそらく誰しも気づくことができると思うのですが、それをやらないのは自己顕示欲を即座に満たしたいという気持ちがあるからなのではないでしょうか。(たぶん人を貶す理由はそれだけではないと思いますが・・・)

~褒める力のトレーニング~
というわけで、褒める力を身につけるために具体的に何をすればよいか、PHP研究所『ほめ言葉ワークブック』の中に書かれていた実践法の中から自分がやろうとしていることをちょっと記録しておきます。
●イメージトレーニングをする
 暇な時間、例えば歩いている時に、ふと頭の中に浮かんだ人を褒めてみる。あるいはその人に感謝の言葉をかけるとしたらなんて言うかな~と妄想してみると意外に今まで気づかなかったその人の良さが発見できたりします。
●日常的にポジティブな言葉を使う
 ふだんからネガティブな言葉を多用していると褒めるときも無理に褒めようとしてしまうため、つい嫌みになったり褒めているつもりなのに相手を傷つけてしまったりしてしまうそうです。常日頃から前向きな言葉を使い、前向きな考え方をすることで褒めることへの後ろめたさを無くすことができるようです。
●未来と可能性にフォーカスする
 行動や成果がどんなに無様なものであったとしても、それを「改善の余地がある」という観点から未来志向的にポジティブに捉えることは可能なはずです。

適当に思い浮かんだことを並べただけなのでなんだかまとまりのない文章になってしまいました。しばらく「褒める」ということについて研究し、考えてみたいと思います。また考えがまとまったら書くことにいたします。

ちなみに10冊同時読みは私にとってさすがに無謀な挑戦でした。まずは3冊同時読みくらいからやり直したいと思います。

2008年5月14日水曜日

強者の論理

今日はゼミに出席しようと思っていたら朝から大降りの雨と芳しくない体調のせいで出る気をなくしたので朝から登校ならぬ投稿してまいます。

昨今のニュースを見ていて思います。
こんなのもしかしたら当たり前のことなのかもしれないしはたまた完全に的外れのことなのかもしれませんが、マスコミは「強者の論理」を軸に報道していることが非常に多いような気がします。

例えば道路特定財源化問題。
あれは一見すると自民党衆議院議員という「強者」が法案を押し通しているようにも見えます。
マスコミはこぞって、「道路族と呼ばれる人たちが国民全体の利益を考えず、無駄な道路建設に税金から費用を捻出しようというとしている」として、あたかも「弱者の国民」の味方“的”な立場から報道をしています。
しかし個人的には構図は逆のような気がします。
明らかにこの問題の本質は地方切捨てを是とするか否か、という部分にあります。
要は強者は「都市在住の国民」、弱者は「地方在住の国民」という構図なので、国民の大半を占める都市在住の国民としての立場から「採算の取れない道路は作るな」と言い切ることこそ強者の論理です。
採算の取れないことはやるな、という数字上の論理は極論を言えばボランティアを否定することと同じなのではないでしょうか。

まあこれは自分が農学部で培ってきた価値観からの主観なのですが、地方切捨てを断行していては農村の荒廃は進むばかりで、日本の食糧自給率の回復など到底無理です。
おそらくこういったマスコミの論理に踊らされている連中の中には食品安全の報道にも踊らされて、国産食品信仰をしている人らも多数いるんじゃないかと思います。
そのような人の形をした抜け殻どもに言いたい。
お前らが食っている飯は一体どこから運ばれてきてるのかわかってんのか!、と。

話がそれてしまいましたが、他にも強者の論理が働いていると感じるニュース(自分が興味あるもの)をあげておきます。
「地球温暖化+バイオエタノール」・・・絶対に強者アメリカの論理。経済維持のためのエネルギー源確保のための“問題”。
「いわゆるニート・フリーター問題」・・・既得権者による論理が働いている。求職者を年功序列制度の弊害でもってはじき出すのを今すぐやめるべき。外国人労働者の雇用促進を打ち出す前に派遣社員の能力見直しが必要。

やっぱり日本は国民主権じゃなくマスコミ主権なんでしょうか。

とりあえず近況

とりあえず近況報告。

学振の申請書が今週末提出なのでそれに向けて先週一週間は構想を練りに練ってました。
一応考えはまとまったのですが、明日かあさってに教授に見せたら大幅な路線変更を指示されそうな予感がします。
先週は通学時間も構想を練っていたのであまり読書していません。
非常に効率の悪い時間の使い方をしてしまったような気がします。
申請書に多くの時間を割いたのは「遣り残したことはない」という自信を自分の中に持ちたかったからなのですが…時間を割くだけではやはり効率よくはいかないものです。
それに引き換え今日の研究室ホームページの更新はなんと効率よかったことか。
でも自分の構想を書面に書くという訓練は絶対に今後必要な能力となるでしょうから、今回は考えをまとめるという意味で非常に良い機会だったのではないかと思います。

当然10冊読みもあんまし進んでません…今週からまた再開します。

2008年5月1日木曜日

研究の目的とは

さて5月にも入り就職活動も終わりを迎える時期。
私は就職活動をほとんどしなかったので実感がわきませんが、
世の就活生は自己分析などして自分自身のアピールに精を出していたことなのでしょう。
私は進学し研究を続けることに宿命と使命を感じていたので、
就職活動もそこそこに進学することを決意しました。

もちろん研究活動そのものが「自分のやりたいこと」であるという部分には確信を持っています。
ただ研究内容自体が本当に自分の一番やりたいことなのかどうか、
という部分にはまだ確信を持つことが出来ていません。

現在自分が行っている研究は「農業の多面的機能」、
平たく言えば「農地が持っている、農業生産以外の面における外部経済性」
の中のひとつである「洪水防止機能」についてであり、
この研究は研究室の先輩がかつて行っていたテーマでありました。

この研究の究極の目的は洪水を予測し未然に防ぐ、といったところにあるのですが、
これはホットな話題でもなければ自分が実際に洪水被害に直面したわけでもないので、
ぶっちゃけて言うと目的達成に対する意義ははっきりと自覚できていない現状です。
そもそも国内での洪水被害がニュースで大きく取り上げられることは近頃ほとんどないように思えるので、
洪水を未然に防ぐ手立てが解明されたとして社会的に本当に役に立つのか疑問が残ります。

ではこの研究自体にどうして価値があるのか、ということについて考えてみたのですが、
恐らくそれは「社会の要請」が背後にあるからだ、という結論に達しました。
たとえば地球温暖化問題だって、もし世間であれだけ騒がれていなければ
「地球温暖化が問題である」ということを前提とした近年の研究熱というものは生まれ得なかったように思います。
ちなみに言っておきますと、私は地球温暖化は一時のブームに過ぎないと確信しています。
(参考文献『ほんとうの環境問題』『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』)

洪水緩和も似たようなものです。
実際にこの研究の意義も「誰かがそれを問題視したから」という前提が多かれ少なかれ背後に潜んでいるように思えます。
そう考えると、「自分は見えないものによって研究をさせられている」という感覚を拭い去ることはできず、
自分のやりたいことを主体的にやっているという自信を喪失しかねません。
ただ、研究の意義の重心を「新たな知の創造」という方向にシフトすると、
とたんに研究することの意味が現れて、「自分はやりたいことをやっている」という実感が持てるような気がします。

従って今は、目的ありきの研究ではなく、
単にその過程そのものや、最終的に得られる「理」を楽しむための研究をやっているつもりです。
ただ自分は最終的には「食糧問題」に結びつくような研究をしたいとも思っているので
将来的に何をしようかいろいろと模索している段階ですが、
今は新たなシステムや素材の開発のための研究とは違った醍醐味を味わえています。

2008年4月30日水曜日

10冊同時読みは意識するとさすがにきついですが、無理なくこなせるような気がしています。
『ほめ言葉ワークブック』『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』『本は10冊同時に読め!』
はとりあえず読み終えました。雑学系とかゆっくり読み進められるものは朝ご飯の時や研究が行き詰まった時などの暇なときに読むようにしています。
ちなみに今日は「寝ながら学べる構造主義」「西洋哲学史」「逆説論理学」を買い足しました。

最近は学振申請の書類作りに情熱を注いでおります。
論文1日3本消化してますがなかなか進まないです。
こいつをさっさと終わらせて新しいこと始めたいです…

2008年4月23日水曜日

10冊同時読み途中経過

というわけでスキあらば書籍を手に取るという習慣を徐々につけるように努力しております。
以下だいたい読んだものに対して簡単に感想を。

『ほめ言葉ワークブック』・・・塾講で生徒のモチベーションを上げるのに使えるかな、と。あんまし目から鱗的な発見はありませんでしたが、実際に他人をほめるという場面に出くわして困ったときにちょっと参考にするという形でつかえればいいかな

『実は悲惨な公務員』・・・私の周りの人は国家公務員試験を受けている人が多いのですが、もともと自分は公務員になるつもりとか全くありませんでした。それで、もともと公務員をうらやましいとも憎らしいとも思っていなかったので公務員の悲惨な現状を知ったところで見る目が変わったということはありませんでしたね

『本は10冊同時に読め!』・・・あっさり読み終えてしまいました。断定口調で書かれているのが非常に痛快でした。名作といわれている文学作品を読んだところで大きな効果があるとも思えない、一つ一つの本を後で丁寧にまとめてもその本の内容を定着させることにはならない、本は最初から最後まで読む必要はなく、途中で放り出してしまって全くかまわない、といった視点は非常に興味深く感じました。


しかしさすがに10冊同時に読むとなると持ち歩くのが大変です。っていうか同時読みは無理です。タバサの冒険まだ読み始めていないですし。広げた本にすぐに集中できるためにはほかに気がかりなことがない、ストレスのない状態でないと難しいことがわかりました。

というわけで彼女作ります。それが2次元であろうが3次元であろうが知ったことではないです。

2008年4月20日日曜日

はぁ~今日も日曜だというのに大学に来ちゃってますよ。
なんか新しいこと始めたいと思うのですが、
来週に発表を控えていたり学振申請書を書かねばならなかったりと
なかなか新境地に踏み出す決心がわきませぬ。

Twitter始めてみました。
http://twitter.com/hideki_ma_tsuji
べ、べつに毎日さみしいから始めた訳じゃないんだからね!

昨日ふらっと立ち寄った書店で
本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである! (知的生きかた文庫 な 36-1) (文庫)

を衝動買いしてしまいました。
本当は買うつもりじゃなかったんですけど・・・
まあまだ囓る程度しか読んでないんですけど、タイトル通りの内容が展開されています。
(率直な感想:自分はこんなこともしらなかったのか・・・)

というわけでいろんなジャンルの本を10冊用意して同時並行的に読んでみることにしました。
10冊とは以下の通り。

1.『ほめ言葉ワークブック』PHP研究所
2.『四字熟語366日』講談社プラスアルファ文庫
3.『つい誰かに話したくなる雑学の本』講談社プラスアルファ文庫
4.『実は悲惨な公務員』光文社新書
5.『本当はツンデレなグリム童話』エンターブレイン
6.『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』ちくま新書
7.『シグマベスト生物IB・Ⅱ』文英堂
8.『タバサの冒険2』MF文庫
9.『パソコンのしくみ』新星出版社

10.『本は10冊同時に読め!』知的生き方文庫

本当はもっと文学的な本を読むべきなのでしょうが、
当面軌道に乗るまではこのように取っつきやすい本からいこうかと思っています。
それと同時に僕が生物とコンピュータについて無知であること、
ちょっと怪しめの本も読む人間であることがばれてしまいました。

そのうち研究に大いに関係しそうな本とかも混ぜていけたらいいかな・・・

2008年4月18日金曜日

今週はとにかく集中力に欠けた毎日でした。
フィールドに一度赴き、修士論文に非常に参考になりそうな論文を発見しました。

最近自分が無気力人間であることに嫌気がさし、どうにかこれを改善したいという気になってきました。
そこで今日の帰り道、私は身の回りのものや人に対して心の中で感謝することにしてみました。
するとまわりの人が自分に良い影響を与えてくれていることに改めて気づくことができました。
周りのひとが輝いて見えるのは自分が成長している証拠。
また新たな自分ルールができました。

あと人を心の中で褒めるというのも訓練としてやっていこうかと思います。
「すぐに使える ほめ言葉ワークブック」によると、
他人を褒められる人はボキャブラリーも豊富、ということらしいです。

2008年4月14日月曜日

今日は一週間ぶりに、大学時代にやっていた柔道部に顔を出してきました。
OBになって1年半がたちますが、気力体力ともにだいぶ衰えたと感じます。
現役部員の練習に対する妥協のない姿勢を見て、多大な刺激を受けました。

昨日の続き。
他人が自分を嫌っているように見えるのは自分が他人を嫌っているから。
かくのごとく、他人を良く見られる人というのは他人からも良く見られる人ということであり、
自分の目の前の光景というのはいわば自分自身を投影する鏡のようなものということなのでしょう。

ちなみに元ネタはARIA the Natural 第6話です。

2008年4月13日日曜日

というわけで今日は休日出勤してきました。
案の定研究室には私一人だったわけですが、あんまし集中できませんでした。
とはいえ、論文1.5本と教科書30ページ読めたのでまあ行った甲斐はあります。
来週の発表に向けて本気モード出してがんばりたいと思います。

最近思うこと。
自分が一番だと自惚れて見えるのは自分が努力していない証拠。
他人が輝いて見えるのは自分が成長している証拠。

2008年4月12日土曜日

ようやく今週、研究室のホームページをリニューアルすることが出来ました。
相変わらず仕事が遅いですが、一仕事なし得たという達成感は感じています。

さて今年は修士の研究を本格的に行わなくてはなりません。
今思えば昨年度はサボってばかりでした。
面倒くさいことを先送りにしていること、
具体的に研究目標をしっかり見据えられていないことにようやく気づきました。
そしてこういうことを自覚するのはいつも寝る前という。
朝起きたときにそういう自覚をもてないもんかと思います。

とりあえず8月の学会で恥をかかないように勉強していきたいと思います。

2008年4月8日火曜日

さて、私は現在大学院の修士課程2年で、
農業土木を専門としてやっております。
環境問題に関心があってこの分野に進学してきました。

環境問題に関して花形的な分野というと、
環境低負荷の製品を作るためのテクノロジーとか、
循環型社会形成のためのシステムというものがあると思います。
もちろんこれらの分野も大事だと思うのですが、
個人的な直感として「食糧問題こそ最も重大な環境問題だ」という信念があったので、
「農」の立場から環境問題を勉強することができるこの分野を選択しました。

ところで、最近池田清彦、養老孟司著の『ほんとうの環境問題』という本を読んだのですが、
この本の内容が自分の環境問題に対する考え方に本当に合致していて、
非常に興味深かったのでここに述べさせていただきます。
なお以下の文は引用ではなく、内容を吟味した上での個人的意見です。

近頃の環境問題は経済主導型で、
問題の本質から全く外れたところでの過熱現象が起こっている。
地球温暖化などはその最たるもので、
売名行為としか思えないようなキャンペーン、
扇動的なデータを振りかざしての身勝手な危機意識の煽りなど、
さも温暖化問題こそが究極の環境問題であるかのごとく取り扱われている。

しかし温暖化による気候への影響は甚大、などというれっきとした科学的根拠など存在せず、
一昔前には地球寒冷化説まで唱えられていたぐらいである。
さらに、もし地球温暖化が切実な問題であったとしても、
そもそも京都議定書の通りCO2を6%削減するなどというのはほとんど効果のない話である。

環境問題とは、人間あるいは生態系が存続していくために
解決せねばならない問題を指すのではないのか。
ならば、食糧問題やエネルギー問題は地球温暖化現象とは
比較にはならないほど重大な問題だと思う。



この本を読んで、自分の直感的な理念に対して確信が持てたような気がしました。
おそらく人生のバイブル的な書の一つとなることは間違いありません。

2008年4月6日日曜日

ブログリニューアル

ブログをリニューアルしました。
4月は始まりの月ということで、今日から装い新たにやっていきます。
コンセプトは以前と変わらず、日常生活でちょっと感じたことを記録する、という程度のもんです。

タイトルの「intuivism」は直観主義という意味で、
ピーンときたものを大事にしていこうという意味を込めています。
また、URLは「たすきを紡ぐもの」という意味で、
私の人生観である「次世代につなぐこと」をそこに込めました。

どちらも個人的に気に入っているので、しばらくこれは続けようかと思っています。
というわけでなるべくめんどくさがらずにこまめに更新したいと思いますので
よろしくお願いします。