2008年5月1日木曜日

研究の目的とは

さて5月にも入り就職活動も終わりを迎える時期。
私は就職活動をほとんどしなかったので実感がわきませんが、
世の就活生は自己分析などして自分自身のアピールに精を出していたことなのでしょう。
私は進学し研究を続けることに宿命と使命を感じていたので、
就職活動もそこそこに進学することを決意しました。

もちろん研究活動そのものが「自分のやりたいこと」であるという部分には確信を持っています。
ただ研究内容自体が本当に自分の一番やりたいことなのかどうか、
という部分にはまだ確信を持つことが出来ていません。

現在自分が行っている研究は「農業の多面的機能」、
平たく言えば「農地が持っている、農業生産以外の面における外部経済性」
の中のひとつである「洪水防止機能」についてであり、
この研究は研究室の先輩がかつて行っていたテーマでありました。

この研究の究極の目的は洪水を予測し未然に防ぐ、といったところにあるのですが、
これはホットな話題でもなければ自分が実際に洪水被害に直面したわけでもないので、
ぶっちゃけて言うと目的達成に対する意義ははっきりと自覚できていない現状です。
そもそも国内での洪水被害がニュースで大きく取り上げられることは近頃ほとんどないように思えるので、
洪水を未然に防ぐ手立てが解明されたとして社会的に本当に役に立つのか疑問が残ります。

ではこの研究自体にどうして価値があるのか、ということについて考えてみたのですが、
恐らくそれは「社会の要請」が背後にあるからだ、という結論に達しました。
たとえば地球温暖化問題だって、もし世間であれだけ騒がれていなければ
「地球温暖化が問題である」ということを前提とした近年の研究熱というものは生まれ得なかったように思います。
ちなみに言っておきますと、私は地球温暖化は一時のブームに過ぎないと確信しています。
(参考文献『ほんとうの環境問題』『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』)

洪水緩和も似たようなものです。
実際にこの研究の意義も「誰かがそれを問題視したから」という前提が多かれ少なかれ背後に潜んでいるように思えます。
そう考えると、「自分は見えないものによって研究をさせられている」という感覚を拭い去ることはできず、
自分のやりたいことを主体的にやっているという自信を喪失しかねません。
ただ、研究の意義の重心を「新たな知の創造」という方向にシフトすると、
とたんに研究することの意味が現れて、「自分はやりたいことをやっている」という実感が持てるような気がします。

従って今は、目的ありきの研究ではなく、
単にその過程そのものや、最終的に得られる「理」を楽しむための研究をやっているつもりです。
ただ自分は最終的には「食糧問題」に結びつくような研究をしたいとも思っているので
将来的に何をしようかいろいろと模索している段階ですが、
今は新たなシステムや素材の開発のための研究とは違った醍醐味を味わえています。