2009年4月30日木曜日

改めて自分の考える心の物理法則

以前もブログに書いたことだけど、
また改めて自分へのエールという意味もこめて
自分ルールを書きます。

ニュートンの運動方程式。
力は質量×加速度。
人間は自分を変えようとするとき力を必要とする。
その力は加速度となって現れる。
しかし加速度は距離、すなわち立ち位置に直結しない。
加速度の増加はじっくり時間をかけることで速度の増加となって現れ、
速度の増加はじっくり時間をかけることで距離の増加となって現れる。

一方周りの人間は、
時間を追わない限りその人の加速度とか速度がどのくらいかは判断できない。
つまりその人がどの立ち位置にいるかしかわからない。
その位置をほかの人と比べることによって相対的な優劣を判断する。
それが社会的な評価ってやつだ。

この社会的評価が低くっても憂えることはない。
なかなか社会的評価が上がらなくてもあせる必要はない。
自分の心の力の大きさだけを感じられていれば、
あとは社会的評価なんてものは加速度的に上昇するのだ。
親しい人ならその人の時間的な変化、
つまり心の速度を感じてくれるはず。

だから自分が成長するためには
自分自身の内に秘めた力を自分自身で感じ、
成長する速度を身近な人から感じることが大事。
というのが自分が考える心の物理法則。

ちなみに須藤元気先生の考える心の物理法則は相対性理論に基づく。
エネルギーは質量×光速の二乗。
質量として、つまり形としてアウトプットを出すことによって
そこから莫大なエネルギーが生まれる。
ありがとう、と言い続けたりノートに書き続けたりすることで
感謝の気持ちは何十倍にもなって現れるというもの。
自分の心の中ではそうは思っていないことでも
言葉に出したり紙に書き出したりすることによって、
アウトプットに引っ張っていってもらうというのもひとつの生き方だと思う。

2009年4月29日水曜日

「食糧危機をあおってはいけない」のレビュー

進学して早一ヶ月。
昨年以前に比べて一気にタスクが増えた。
またそれを一つ一つこなしていくところに
少しずつ快感を覚え始めている。

今日はネットで話題の一冊、
「食糧危機をあおってはいけない」の簡単なレビューをさせていただこうかと。
読み終えてから1週間が過ぎてしまったので
少し熱が覚めてしまった感がある。

そういえば先週、大学の図書館のバイトをしているときの
相方さん♂が、なんとこの本の著者の研究室に所属しているとのこと。
思いがけない出会いがこんなところに。
この本の著者の川島先生はもともと工学系研究者であったが、
現在は環境経済学者としてご活躍されているということ。
この方はその道ではアウトロー、一匹狼として有名らしい。
うーむ、まさに私にとっての理想の研究者像。
非常にあこがれてしまう。

というわけで簡単ではあるが本書の要点をまとめてみる。

・世界には化学肥料による食糧増産の余地がある土地が大量に余っている

・世界中に富裕層になるにつれて牛肉消費量が増えると言われているが、
 文化的にアジアやイスラムの諸国の食事がアメリカナイズされることはありえない

・人口爆発による食料需要量の必然的増加が言われているが、
 タイなどの国が出生率2を下回り始めたこと、
 アジア諸国における女性の社会進出の傾向が出始めてきていることを考えると
 国連が予測しているような人口爆発が実際に起こるとは考えにくい

・食糧危機説は定期的に持ちあがっているが(石油危機のときなど)、
 これまでに予測されたような世界的危機に陥ったことはなかった

・中国の穀物輸入量がぞうだいしており、
 世界の穀物市場から穀物量が減っているように感ぜられるが、
 実際には中国の輸入増大と同時にブラジルの生産量の増産が起こっている

・先進国の農地面積が増大しない背景には生産過剰という問題がある
 生産過剰になると農家は豊作貧乏になってしまう

・アメリカ発のバイオエタノール戦略によって穀物価格が上昇し、
 需給のバランスが崩れたかのように思われるが、
 実際には原因は投資家による先物取引への投機マネーである。
 さらに、バイオエタノール生産に必要な穀物の量は
 アメリカの休耕地だけで十分対応することができる

とりあえず世間で叫ばれている食糧危機説の根拠となる言説と、
それに対する筆者の意見を並べるとこのようになる。
根拠となるデータがいろいろと示されているので非常に説得力があった。
食糧危機というのは食糧を買うお金がないことが問題なのだから
結局は政治・経済問題に帰着されることがわかったというのが私にとっての一番の収穫かな。

あとショッキングだったのがレスターブラウン批判の部分。
ちなみにレスターブラウンは言わずと知れた、環境ジャーナリストの第一人者。
私は学部3年生のとき、彼の著書を2冊ほど購入して読み、
統計データをもとにした説得力のある彼の自説に心酔し、
将来的な食糧危機と環境危機を信じてしまった。
しかしこの著書を読んで初めて知ったが、
レスターブラウンは科学者ではなく、ジャーナリストである。
科学者の皮をかぶったアジテーターだったのだ。
盲目的に彼の自説を信じてしまった自分の勉強不足を痛感した。

最後にひとつ。

 世界的食料不足を心配しているのは世界中で日本人だけ

この著書の中で一番強く印象に残った一文である。

2009年4月12日日曜日

また一人笑いをしてしまった・・・

今日はなんか寂しかったけど何かやらかすお金がなかった。
ということで憂さ晴らしにtwitterでポストした。

 @wakatter 一蘭食べたい。おごってー

で、wakatter先生は@ha*****に爆撃を加えた。
ちなみに、@ha*****さんはその爆撃の直前に
 
 金無い言ってる人で俺より金無い人##さんくらいしか見たこと無いし。

っていうポストをしていた。
そこにきて

 @ha*****一蘭食べたい。おごってーですね、わかります。

というポスト。空気嫁やwakatter先生。
というわけで当然のごとく@ha*****さんは

 @c_two @wakatter おい一蘭てなんだよ、俺bot二人に奢るの?

というポスト。
あまりにもタイミングがよすぎるだろ・・・
思わず駅の駐輪場で噴いてしまった。
ちょっと幸せになった。

2009年4月6日月曜日

天才になれなくて

新年度になってもうすぐ一週間。
修士論文の直しとか基礎勉強とかしたいのに、
専攻の雑用とか研究室の雑用とか学会の雑用とか
デスク周りの模様替えとか家の大掃除とかあって
まだ本格的に研究活動に勤しめていません。

まあでも何事も環境からですよね。
掃除ができない人間は何も上手くできないと言われるように。
研究室のPC、Dell社のOPTIPLEX GX520で
デュアルモニタを試そうかと思ったのですが、
ビデオカードはデュアル対応なのにもかかわらず
入力端子口がVGA一つしかなくて、
結局ビデオカード取り付けかVGA-USB変換コネクタが必要という
落ちだということがわかってちょっとゲンナリしています。

最近寝る前1時間ではてブホットエントリを見るのが習慣化してきました。
本日はこちらを見てのちょっとした感想を。

 天才になれる秘密-teruyastarはかく語りき

要は過去の“名作”を“コピー”することによって人間は“天才”になれる、
ということを言いたいんですよね。
何もないゼロの状態からものを考えて、
出来上がった“作品”が世の中に認められることは
“まずない”と言っていいと。
そしてこの考え方は初等・中等・高等教育では
むしろタブーとされており、
我々はゼロの状態から自ら考えるという訓練、
いわゆる“テスト”を積んできた。

だけど社会に転がっている問題はこういうアプローチでは
なかなか成功をつかむことができない。
ゼロからじっくり考えて間に合うほど
問題は単純じゃないってことですね。
そんなことしている間に、ほかの人に出し抜かれてしまう、ってことですね。

この考え方には心の底から同意の気持ちを抱きます。
この気持ちは昨年の私の経験に基づくものです。

昨年1年間、私は修士論文の作成に多くの時間を費やしたわけですが、
最も時間がかかったのが数値計算モデルの作成でした。
実際、先輩の財産として自分が組むべき
モデルの一部分はすでに完成していたのですが、
私は1からコードを書くことに挑戦しました。

その結果、ゼミで発表するたびに教授から酷評をいただき、
意固地になって亜流でこなそうとする姿勢を叱責されてしまいました。
当時の私は、そのぐらい0から自分でできるくらいの才能がないと
研究者として到底生き残っていけない、とも思っていましたし、
サルバドール・ダリの名言
 「天才
になるには天才のふりをすればいい」
を座右の銘として抱いていたので、
自分は天才だから参照が無くても絶対にできる、
という根拠のない自信を抱いていたりしていました。

その自信が空回りしてしまい、
そこから自信喪失につながっていったという苦い経験を持っています。

この経験をしたおかげか、ようやく最近になって、過去の偉人たちの遺産、
いわゆる“古典”の価値を本心から認められるようになりました。
また、このエントリを読んだことで、
天才とは他者との共存の中で初めて社会的に成立するものだ、
ということがわかったような気がします。
つまり天才になるには名作をもっと吸収する必要がある、ってことですかね。
若いうちにやっとかなきゃ、ですね。

2009年4月1日水曜日

博士課程1年になりました

4月1日。
私、HidekiTsujiは博士課程1年に学年があがりました。
修士課程をともに歩んだ私の周りの方々は
ほとんどが本日入社式を経験し、社会人となったわけであります。
私の目には「隣の芝生は蒼い」ではないですが、
彼らがとても華々しく見えます。
うらやましいという感覚とは少し違いますが。

私は現実より理想をとり、進学をいたしました。
私は研究の楽しさも分かっていなければ、
専門知識にもまったく乏しい人間だ、という現実が厳然としてあります。
しかし研究を続けていかなくては、という使命感を自分は持っていました。
この使命感を糧に自分の理想像へ一歩でも近づくべく、
茨の道に歩みだそうとしています。

覚悟はできました。
これだけは胸を張って言うことができます。
今年度は貪欲にいきたいと思います。