2010年11月13日土曜日

私がカードゲームになったようなのです

このブログにおいては、これまであまり素性を明らかにしてきませんでしたが、
このたび私がカードゲーム化したようなので、その報告とともに
改めて自己紹介をさせていただきたいと思います。

本名は辻英樹(つじ ひでき)、年齢26歳。
大学院博士課程に在学中で独身&KIRIN。
これといって目立つような社会活動はこれまでにしたことがなく、
非コミュ非リア充でひきこもりがちなパッとしない一男子です。
そんな半人前な私が、なぜか並み居るアイドル、キャラクターたちを押しのけ、
ついにこの度、カードゲーム化を達成することができました!

ついにおかしくなってしまったか…とのご心配は無用。
実は週刊少年ジャンプ第47号の巻頭を飾ったコメディ漫画、
「SKET DANCE」という作品の中に実際に私が登場しているのです。

SKET DANCE 連載作品情報

私は少年時代から漫画をほとんど読まない人間だったので、
この作品の内容については申し訳ないですが存じ上げません。
なのでこの回しか目にしていないのですが、
簡単にこの回のプロローグを言っておくとこんな感じです。

開盟学園の生徒3人からなる人助けを目的とした部活動、「スケット団」。
この日は部室でヒマしていると、山野辺先生という地理教師がやってきて、
カルタもどきのカードゲーム、ファルケンをやろうと持ちかける。
ファルケンは短歌のような歌(作品中では黄歌(ウォンカ)と呼ばれている)を読み手が詠み、
床に散らばった、絵だけが書かれた札を"ファルケン!"と叫びながら取っていくゲーム。

既にお気づきの方もいらっしゃるだろうが、このゲームの中に私が登場するのは2枚目の札。
その歌がこれだ。

 君の為に 書いた 手紙を 菜箸で もたれた 辻ヒデキ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なぜばれたし。
ってえー!?よりによってそんなシチュエーションでカードゲームデビューですかー!!
AKBドンジャラやライフライン△トレカみたいな華やかさの欠片もないし。
確かに先日、先輩の結婚式の2次会に行ったときの新婦さんの送別の言葉が
 「気持ち悪い」
だったことは認めますが、真心込めて書いた手紙を菜箸で摘まれるようなキャラを演じたことは
断じてなかったはず(能動的に記憶を消していなければ)。
ちなみに作中においてこの歌を読んだ後のセリフ。
「まず誰だ!切ない!」というツっこみ。
うん、ツッコミありがとう。でも「まず誰だ!」って名前的にはオレだよー!
そしてその何枚か後の札の歌。

今は 本気を 出していない だけだと 辻ヒデキ

だからなんでばれたしー!!
そうだよ、今はまだ本気を出していないだけだ。
人生にモテ期は3度あるっていうし人生なんとかなるってお父ちゃんが言ってた。
今の年齢とか所属ステータスに見合う能力はなくて無知なことをよくバカにされるけど、
それは本気を出してないからなんだよーー!!

というわけでファルケンという競技では辻ヒデキというキャラはどうやら名物ってことらしい。
だが切ない。あまりに切ないよ辻ヒデキ。
もっと現実世界の辻ヒデキががんばらなくちゃ、
ファルケンの中の辻ヒデキも切ないシチュエーションで使われてしまうんだね。

と、いうことでキャラ設定はちょっとかわいそうではあったのですが、
まあ別に不愉快な思いはしてません。
むしろ念願の2次元化を叶えてくれてありがとう、篠原健太先生。
できればキャラ使用料として印税の一部くださいウソですすいませんわかってます。
次の単行本が発売されるのを心より愉しみに待ってますです。

ちなみにPixivにおける辻ヒデキの絵はこんな感じです。
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=14153594
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=14150003

う~ん、柔道部物語の西野に似てやしないか。
柔道やってた頃の自分だったらもしかしたら似てないこともないかも。

来春よりアニメ化するらしいのでそちらも楽しみです。
そんじゃ。

参考URL
http://ja.wikipedia.org/wiki/SKET_DANCE
http://jumplife1028.blog136.fc2.com/blog-entry-45.html

なんでみんな質問しないのか

ではぼちぼちブログ更新していきますか。

ホントは「縦社会の風通しの悪さが研究者の視野を狭くする」ってタイトルで記事を書こうと思ったけど
感情を抑えて構造を整えた格調高い表現を繰り出す能力がまだないと自覚したので、もう言いたいことをテキトーに言ってしまうことにします。

最近、研究室のゼミや大学院の特別講義で常に思うことがある。
周りの学生、みんなおとなしすぎる。
研究発表でも講義でもとにかく質問が出ない。
ゼミ・講義に出席してもただ黙ーって席に座ってるだけの人間のなんと多いことか。
それって、出席してる意味があるの?ほんとに何も疑問に思ったりしなかったの?理解できない部分はなかったの?と疑問に思う。
もし聴講者の前で発言しにくいんだったらゼミ後・講義後に直接聴きに行けばいい。
そうした姿勢がないということは、この人は興味を持ってないんだなーとしか思えない。

あと質問が出たとしてもその人の研究に直に関わることとか経験あることをベースに聞いてることが多いように思う。
こんなとき、みんな視野が狭いなーと思ってしまう。
どうして純粋な知的好奇心が表に現れないのか。
私はその原因が教員と学生の上下関係にあるように思うんです。

「教員=知ってる人、経験値のある人」
という認識を強く持ってしまうと自分の疑問やアイディアは
教員にとっては当たり前のこととして処理される可能性が高いというのを恐れてしまう。
そうするとみんなの時間を借りて自分の無知を晒すのはちょっと腰が引けてしまうのでしょう。
でも逆にいうと、無知を晒すことは自分にとっては無知を自覚するチャンス。
いわゆる聞くは一時の恥ってやつ。
まあ大学院生を何年かやってると分かるけど、
教員も万能者じゃないし頭の回転で言えば若者の方が有利なわけだから
学生が教員のキャパを超えることも大いに有り得る。
(ちなみに私は教員の指示の範疇を超える自信を持てるかどうかが院に進学するかどうかのバロメータだと思っています)
だから「教員と大学院生は対等な立場」だと考えたほうがいろいろと風通しがよくなって活発な議論ができるだろうし、
その立場についてM1入学の時点で摺り込んでおけばいいんだろうと思う。
教員は認めないかもしれないけど、大学院生にはそれぐらいの権利があって当然でしょ。

というわけで特に大学院生はもっと自分勝手に、貪欲に聞きたいこと聞けばいいのにと思うんだよね。
まあもっともやりすぎるとこっちとしてもなんかムカつくけどそれはさておき。

2010年11月10日水曜日

たんじょーび2週間まえ。

うわあああまたしばらく更新してなかったー
って、別に気分が落ち込んでたわけではなくて単にめんどくさい病が発症してただけ。
日々真剣に考えてることの断片は最近twitterの方で発散してます。
特にこのところ気になってるトピックは
  1.農業ってなんだ?どうあるべき?
2.生物多様性ってほんとに大事なの?
  3.大学院って結局何?就職と同次元で語られてることになんか違和感感じるけど。
  4.今シーズンのプロ野球の総括
とかなんとか。

野球シーズンも終わって時間に余裕が出来始めたので
これからぼちぼち更新していこうと思ってます。

2010年4月12日月曜日

折りたたみ式携帯を壊して初めてわかったこと。

新年度あけましておめおめ。

うーん、やっぱりブログってのは見てくれる人がいないと続かないもんだね。
人脈があって持ちつ持たれつの関係ができれば
いろいろといい発想が生まれてきたりするのかなーなんて思う。

さて、最近いろいろあって携帯が壊れちまいました。
正確にいえば「壊した」です。
折りたたみ式携帯の蝶番のところで逆十字を決めて
青木真也バリの破壊力でバコッといっちまいました。
折ってみるとわかるけど意外とメリっと簡単にちぎれるもんで、
パキっと折るというよりは何かを引き剥がす間隔に近かったように思います。
折ってしまった動機はまあ好奇心ってことで自分では解決してます。
話のネタにもなるし。

ちなみに折りたたみ式の携帯を壊してわかったことが幾つかありましたので書いときます。
 
1.下半身(下側)だけでも動く
 折りたたみ式携帯は大体が上半身=モニタ、下半身=CPUという感じになってると思います。
 上半身と下半身を分裂させることでモニタに信号を送るケーブルは切断されますが、
 基本的に処理自体は下半身だけでこなせる構造になっているため、
 別に分裂しても動くことは動きます。
 つまり下半身しかない携帯というのはモニタのないデスクトップPCとおんなじようなものです。
 実際分裂した携帯に着信があってバイブが鳴り出したときはマジビビりました。
 というわけで下半身にはスピーカーはないので通話を聞くことはできませんが、
 マイクを使って発話することはできます。
 相手の反応を伺うことなく告白したい人とかにはオススメです(修理の保証はしません)。

2.自力でPCにバックアップをとるのは至難の業
 1で下半身だけでも奴は生き残れると書きましたが、
 この状態からPCにバックアップをとるのはかなり大変です。
 一度作業をした経験があるなら操作の記憶を辿ることでなんとかなるかもしれませんが、
 私の場合その経験が全くなかったので
 モニタのない携帯からデータをPCに送る操作手順をマニュアル見ながらやってみても
 やっぱり一向にうまくいきませんでした。
 やはり壊す前に一度バックアップを取っておいた方が良いでしょう。

3.でも暗証番号さえ覚えていればショップでデータの吸出しは可能っぽい
 というわけで携帯ショップに破壊された携帯を持っていき、
 「やっぱり修理しないといけませんかね?」
 と聞いてみたんだけど、下半身に電源が入るのなら向こうのシステムで
 何とかデータの吸い上げは可能とのこと。
 ただし吸い上げる際にはロック解除のパスワードが必要なので注意。
 ちなみにショップのおねえさんは分断された携帯を前にしても
 動じることなく、営業スマイルで対処法を説明してくれた。
 やっぱりこういう事故は普通に起こっているようだ。

以上、もし何らかの機会で携帯を壊すことがあれば参考にしてください。
ちなみにケーブルを引きちぎってモニタがブレイクダウンする様子を見るのは
お酒が入ってない限りトラウマになってしまう可能性があるのでご注意を。
あと携帯を壊したい衝動が生まれてくるほど泥酔してはいけません。

2010年3月20日土曜日

だいぶ日がたったようなので

ああ、前回の更新からだいぶ時間がたってしまった。
全く記録を残さないのも良くないと思うのでとりあえず近況を簡単に残しておこう。

あの日以来、すなわち教授に研究室辞めたいといった日以来、
逃げ場が無くなった感から本気で研究に取り組むようになった。
本気で、というのはもう全身全霊をかけて、ってこと。
やっぱり24時間、頭の中のどこかには研究のことがあるような気がする。

最近、数値計算プログラム作るようになったんだけど
ちょっとでもコード間違えると動かないから
もう脳みそフル回転で隅々までチェックしている。
ああ、脳みそってこうやって使うんだな、ってことがようやくわかってきた感じかな。

一研究者としての自覚は芽生えだしたんだけどまだでも走り初め。
しばらくはコンピュータとにらめっこする日が続きそう。

2010年1月23日土曜日

やっぱり途中で投げ出すのはよくないお

先日、研究室辞めたいという愚痴をポストしましたが、
ついに先日、そのことを教授に嘆願しに行く機会がありました。
そこで私はいかに今の研究テーマに自分が馴染めないか、
そして環境を変えたいと思っているかについて
思いのたけを打ち明けたつもり…
だったのですが、結局懐柔されて終わってしまいました。
もしかすると打ち明け方がヘタクソだったために
思いが伝わらなかったという可能性があったのかもしれませんが、
とにかく当初の予定通りとはいきませんでした。
事の経緯を長ったらしく書いてもなんなんで簡潔に要点だけ言います。
(実は推敲中に再起動かかって再編集がめんどくなったからなんて言えないんだじぇ・・・)

若いうちに厳しい環境でやらんとアカンと思った。
          ↓
でもそれって逃げることに他ならないよね。
          ↓    
だけど今やらないと後悔するような希ガス・・・
          ↓
先生、留学が・・・したいです・・・(ミッチーほど真剣ではない口調で)
          ↓
覚悟を決めてやったらどうだ、博士号とったら推薦書書いて留学させてやる。(by教授)
          ↓
仕方ない、腹括るか。自分の目標は博士号とることじゃなくて、
  知を通じて社会貢献することなわけだし、これはまだ通過点と考えよう。

そんな感じで今の研究に全身全霊かけて励む覚悟を決めました。
もう自分の人生かかってるんで並々ならぬ決意ってもんですたい。

で、さて、この状況。
これってまるで入社3年で辞表を提出する社会人と全く同じ構図なんですよね。
たかだか修士課程(=会社の研修期間に相当しますかね~)を終了しただけの人間が
博士課程(=実務期間)に移行するやいなや馴染めないとか自分が発揮できないとか
青二才の分際でほざきやがって(スイマセン、少しガラの悪い言い方になってまいました)
そんでもって辞意を表明してしまう。
今の若いもんは我慢がなっとらん、と大人の方々がくちを揃えておっしゃるのを
私は他人事のように思っていたのですが、
まさか自分が全く同じ状況に陥るとは思っても見ませんでした。

しかし、このことに気付けたからこそ、私はなんとか踏みとどまることができました。
まあ実はあまり実感できてないんですけど、
もしこのままこの研究室で博士号を取ることができて、
2~3年後に留学することができたとしたら、
あああの時踏みとどまっといて良かった、と思える日がきっと来るんだと思っています。
逆にその時を迎えるためにもこれからしっかりやらにゃなりません。

今回の出来事はこんな感じでまとめられますが、
この経験を通じて、途中で投げ出さないことの大切さを、
他人の問題ではなく自分の問題として、改めて考えさせられました。
そこで、もし同じように逃げ出したい、投げ出したいという思いが頭の中によぎったときに
心の支えになってくれそうな3つのエッセイを引用させていただきます。

「なんでこんなことやってんだろ」って思った時に考えて欲しいこと

僕のミッションの1つには会社が儲かる仕組みを作ることがあるはずなのに、最近は  XHTML/CSSのマークアップばっかりやっています。社長の仕事が最優先の為です。とっても苦手な素材作りも見様見真似のFireworksを操りサイトを作り、昨日の自分より少しはマシになったなーと思いながら「こー ゆーことがしたいなぁ」とコーヒー飲みながら思ったりしてます。向いてない、と思っていたことに取り組むのは気が進まないものです。でも振り返ってみると、「これが好きだからやりたい」といったことは何一つ身についていませんでした。必要だからやらざるを得なかったし、やる以上は何らかのアウトプットを出す。その積み重ねでやってきたことは、体が覚えてくれています。
                        ~中略~
スティーブ・ジョブスの有名な卒業祝賀スピーチに「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだ けなんだ。」という言葉があります。ホントにその通りだなと思います。ただ、何の努力もせず日々を過ごしていては過去を振りかって時に「つなげられるドッ ト」がありません。
                        ~中略~
ただ、やること。その情熱・行為そのものがドットになる日を楽しみに、何とか明日の目標をクリアしていきたいと思います。


「これが好きだからやりたい」といったことは何一つ身についていない、と断言できるところに
敬服の念を抱きます。やはりその時々でやらなきゃいけないことに全力で取り組むことが
成功への第一歩なのだと思いました。


~古田敦也『「優柔決断」のすすめ』

ぼくが考える「優柔決断」は、柔軟に情報を収集した上で、最終的にそれを生かした「決断」をしっかりするということ。いよいよ最後となれば、「やってみなきゃわからない」。そこまできたら、あとはとにかく「やる」勇気を持つことなんです。
                        ~中略~
「優柔」の段階では、ときには大いに迷い、悩み、もがき苦しむこともあるでしょう。それでいっこうにかまわないのです。そのあとでしっかりと「決断」さえできれば、それでいい。



柔軟に情報を収集するというのがいやはやどうも自分には苦手なところなのですが、
とにもかくにも最後にはしっかり腹をくくって「決断」し、いつまでも後悔しない。
逃げる経験をつくるよりはよっぽどマシ、ということなのだと思います。


~小西浩文『生き残る技術』

「目標」と「目的」の錯誤は、間違いなく失敗につながる。「小さな成功はあくまでも通過点に過ぎない」という心構えを常に持っていないと、「心のすき」が生まれ、思わぬアクシデントが引き起こされる。


なるほど。目的、とくに生きる目的は「現在」のもっと先にある。
小さな成功体験もそれを達成できないという悩みも「小さな目標」のためのものでしかないわけだから
派手に喜びすぎず、深く悩みすぎずという姿勢を保つべし。
最後にイチロー選手の名ゼリフ。

小さなことを積み重ねることが、 とんでもないところに行くただひとつの道だと思う。

コツコツ努力する、というのはあまりに陳腐な言葉ではありますが、
かめばかむほど味が出る言葉だと思います。

"今"を"生きる"