2010年1月23日土曜日

やっぱり途中で投げ出すのはよくないお

先日、研究室辞めたいという愚痴をポストしましたが、
ついに先日、そのことを教授に嘆願しに行く機会がありました。
そこで私はいかに今の研究テーマに自分が馴染めないか、
そして環境を変えたいと思っているかについて
思いのたけを打ち明けたつもり…
だったのですが、結局懐柔されて終わってしまいました。
もしかすると打ち明け方がヘタクソだったために
思いが伝わらなかったという可能性があったのかもしれませんが、
とにかく当初の予定通りとはいきませんでした。
事の経緯を長ったらしく書いてもなんなんで簡潔に要点だけ言います。
(実は推敲中に再起動かかって再編集がめんどくなったからなんて言えないんだじぇ・・・)

若いうちに厳しい環境でやらんとアカンと思った。
          ↓
でもそれって逃げることに他ならないよね。
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だけど今やらないと後悔するような希ガス・・・
          ↓
先生、留学が・・・したいです・・・(ミッチーほど真剣ではない口調で)
          ↓
覚悟を決めてやったらどうだ、博士号とったら推薦書書いて留学させてやる。(by教授)
          ↓
仕方ない、腹括るか。自分の目標は博士号とることじゃなくて、
  知を通じて社会貢献することなわけだし、これはまだ通過点と考えよう。

そんな感じで今の研究に全身全霊かけて励む覚悟を決めました。
もう自分の人生かかってるんで並々ならぬ決意ってもんですたい。

で、さて、この状況。
これってまるで入社3年で辞表を提出する社会人と全く同じ構図なんですよね。
たかだか修士課程(=会社の研修期間に相当しますかね~)を終了しただけの人間が
博士課程(=実務期間)に移行するやいなや馴染めないとか自分が発揮できないとか
青二才の分際でほざきやがって(スイマセン、少しガラの悪い言い方になってまいました)
そんでもって辞意を表明してしまう。
今の若いもんは我慢がなっとらん、と大人の方々がくちを揃えておっしゃるのを
私は他人事のように思っていたのですが、
まさか自分が全く同じ状況に陥るとは思っても見ませんでした。

しかし、このことに気付けたからこそ、私はなんとか踏みとどまることができました。
まあ実はあまり実感できてないんですけど、
もしこのままこの研究室で博士号を取ることができて、
2~3年後に留学することができたとしたら、
あああの時踏みとどまっといて良かった、と思える日がきっと来るんだと思っています。
逆にその時を迎えるためにもこれからしっかりやらにゃなりません。

今回の出来事はこんな感じでまとめられますが、
この経験を通じて、途中で投げ出さないことの大切さを、
他人の問題ではなく自分の問題として、改めて考えさせられました。
そこで、もし同じように逃げ出したい、投げ出したいという思いが頭の中によぎったときに
心の支えになってくれそうな3つのエッセイを引用させていただきます。

「なんでこんなことやってんだろ」って思った時に考えて欲しいこと

僕のミッションの1つには会社が儲かる仕組みを作ることがあるはずなのに、最近は  XHTML/CSSのマークアップばっかりやっています。社長の仕事が最優先の為です。とっても苦手な素材作りも見様見真似のFireworksを操りサイトを作り、昨日の自分より少しはマシになったなーと思いながら「こー ゆーことがしたいなぁ」とコーヒー飲みながら思ったりしてます。向いてない、と思っていたことに取り組むのは気が進まないものです。でも振り返ってみると、「これが好きだからやりたい」といったことは何一つ身についていませんでした。必要だからやらざるを得なかったし、やる以上は何らかのアウトプットを出す。その積み重ねでやってきたことは、体が覚えてくれています。
                        ~中略~
スティーブ・ジョブスの有名な卒業祝賀スピーチに「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだ けなんだ。」という言葉があります。ホントにその通りだなと思います。ただ、何の努力もせず日々を過ごしていては過去を振りかって時に「つなげられるドッ ト」がありません。
                        ~中略~
ただ、やること。その情熱・行為そのものがドットになる日を楽しみに、何とか明日の目標をクリアしていきたいと思います。


「これが好きだからやりたい」といったことは何一つ身についていない、と断言できるところに
敬服の念を抱きます。やはりその時々でやらなきゃいけないことに全力で取り組むことが
成功への第一歩なのだと思いました。


~古田敦也『「優柔決断」のすすめ』

ぼくが考える「優柔決断」は、柔軟に情報を収集した上で、最終的にそれを生かした「決断」をしっかりするということ。いよいよ最後となれば、「やってみなきゃわからない」。そこまできたら、あとはとにかく「やる」勇気を持つことなんです。
                        ~中略~
「優柔」の段階では、ときには大いに迷い、悩み、もがき苦しむこともあるでしょう。それでいっこうにかまわないのです。そのあとでしっかりと「決断」さえできれば、それでいい。



柔軟に情報を収集するというのがいやはやどうも自分には苦手なところなのですが、
とにもかくにも最後にはしっかり腹をくくって「決断」し、いつまでも後悔しない。
逃げる経験をつくるよりはよっぽどマシ、ということなのだと思います。


~小西浩文『生き残る技術』

「目標」と「目的」の錯誤は、間違いなく失敗につながる。「小さな成功はあくまでも通過点に過ぎない」という心構えを常に持っていないと、「心のすき」が生まれ、思わぬアクシデントが引き起こされる。


なるほど。目的、とくに生きる目的は「現在」のもっと先にある。
小さな成功体験もそれを達成できないという悩みも「小さな目標」のためのものでしかないわけだから
派手に喜びすぎず、深く悩みすぎずという姿勢を保つべし。
最後にイチロー選手の名ゼリフ。

小さなことを積み重ねることが、 とんでもないところに行くただひとつの道だと思う。

コツコツ努力する、というのはあまりに陳腐な言葉ではありますが、
かめばかむほど味が出る言葉だと思います。

"今"を"生きる"